2018年1月20日土曜日

本3冊、新書と文庫本

 <大石学 『なぜ、地形と地図がわかると幕末史がこんなに面白くなるのか』(洋泉社歴史新書、2017年)>:図で表すことは物事の理解を早める。同様に、歴史的事件も地図上に表現すると事実が具体性を帯びて、少なくとも分かったような気分にはさせてくれる。読書に長い時間をとれないとき、ふふん、あっそう、という気持ちで場幕末のエピソードに触れていた。

 <浦賀和宏 『彼女の血が溶けてゆく』(幻冬舎文庫、2013年)>:『彼女は存在しない』を読んだとき、「この作者はもうこれでお終い」とメモしていたが、未読の本の山に混じっていた今回の文庫本は、前言を翻して面白く読んだ。スト-リーの展開が進んだところでまだ頁が厚く残っているのでまだどんでん返しがあると予想し、それが描かれたときはあまり驚きもしなかった。フリー・ライターが取材を進める中でミステリーが進んでいく過程にはどうしても後出しジャンケン的な展開がでてきて、それが味気なくも感じる。アルツハイマー、溶血症、医者、フリーライター、家族・肉親への憎悪、贖罪、等々を絡ませて物語を構成させている。

 <本田靖春 『誘拐』(ちくま文庫、2005年、初刊1977年)>:連れ合いの祖父母の家が入谷にあって、今は叔父・叔母が住んでいる。そこから直線距離で約350mほど離れた場所が吉展ちゃん誘拐事件の被害者宅であった。東京オリンピックの前年1963年3月に事件は起き、解決は2年3ヶ月後である。テレビで流れたニュースや新聞記事をぼんやりと覚えている。何を今更このドキュメンタリーを読むのかと言えば、優れたこのドキュメンタリーで55年前の時代に触れたかったからである。昭和で言えば38年からで、中学3年生になったころである。
 この作品で、犯人小原保の貧乏な生活、異常に多い血縁者の疾病、福島県石川の地、上京して身を置いた底辺に近い生活環境、遺族の悲しみ悔しさ、ミスを続けた警察捜査、等々なのかもしれないし、そこにフォーカシングされることが多いのだが、それらは時代とともに変化している。しかし、今も変わっていない普遍的なものがある。それは、ミスを隠そうとする官僚、忖度を繰り返す組織人、被害者宅への無言の電話と中傷、鬱憤晴らしの迷惑電話や手紙、宗教への勧誘などである。現代のように情報機器や収集・分析システムが発達しても人間の本質は何も変わらない。例えば、一昨年から多くの疑問が投げかけられている”もりかけ問題”、あるいは総理に近い人間による性的暴行はいまもってグレーに蓋われたままである。一方では芸能人のどうでもよい不倫疑惑をことさらに取上げて集団的私刑の報道が繰り返されている。
 警察官僚のやりかたに抗って真実や正義を真摯に追求するには、敷かれた軌道からはみ出しすしかないのかもしれない。この作品で言えば、平塚刑事に代表されるが、彼をドラマチックに賞賛するよりも、大事なことははみ出しがなぜにはみ出さずにいられないのかということではなかろうか。同じようなことは東京新聞の記者の行動姿勢にもみられる。平塚が最終的に警視になったのは警察組織の自己弁護的処置とも思える。
 小原は最後は昇華されて死刑台に消えたけれど、世相を背景にした彼の生き様を問う一方で、この事件が解決するまでに長引いてしまった根源的なものを問う姿勢がもっと強くあってもよいのでは、と感じたことも確かである。

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