2020年8月18日火曜日

1937

 <辺見庸 『1★9★3★7(イクミナ)』(金曜日、2015年)>:『週刊金曜日』に数ヶ月間掲載されたものに修正と補充を加えられ、本書が刊行された。その翌年に増補版が河出書房新社から、さらにその約9ヶ月後に完全版と冠がつけられて角川文庫よる出版されている。読んだのは金曜日版。
 頁を開くと、漢字にしてもよさそうな沢山の語が平仮名表記になっている。「かんがえる」「じんじょう」「かんたん」「かたる」「いっしゅん」「げんざい」などなど。どのような意図なのか。意味が直読できる漢字ではなく、発音記号としての平仮名が続く文章は読みにくく、目で読んで頭の中で漢字変換して二度読みしている気分になってしまう。
 1937年の1年を簡単に記してみる。2月に兵役法施行令が改正されて徴兵検査の身長が5cm引き下げられて徴兵の枠が広がり、5月末日に文部省から「国体の本義」が配布されて「国体」のあり方が強く定義づけられ、8月に閣議決定された「国民精神総動員実施要綱」と合わせて人々は国家の枠組みに堅固に囚れることとなる。NHKの「国民唱歌」の放送が開始され、その第1回は「海ゆかば」である。以降太平洋戦争中に日本軍部隊の玉砕をラジオで報じるときはこの「海ゆかば」が流される。1943年に少し脱線すると、この年の学徒出陣でも「海ゆかば」が流され、その際の行進曲は現在も自衛隊や防衛大の分列行進曲と同じである。なぜと言いたくなるし、一方では変わりようがないのかとも感じる。
 「国体」を象徴するのは、北一輝・西田悦が8月に死刑執行されたこと、10月には朝鮮人に「皇国臣民の誓詞」を配布し、12月に矢内原忠雄が筆禍事件で辞表を提出している。同じ12月には第1次人民戦線事件が起きている。
 先の戦争開始は1941年の真珠湾攻撃からと広く語られるが、重要なのは、1937年7月の蘆溝橋事件から始まることである。そして多くの論争を生むことになる南京大虐殺事件は12月に起きている。
 ヘレン・ケラーが来日して大歓迎を受け、「路傍の石」が新聞連載を始め、『雪国』が刊行されたのもこの年。これらの作家たちはこの時代の政治や社会にどのような姿勢をとって後世に残る代表作を書いていたのか、調べて見れば面白いかもしれない。因に今も続く文化勲章はこの年に制定されている。
 「露営の歌」が発売され、慰問袋セットが売り出され、日露戦争の頃よりはじまった「千人針」がこの1937年に全国的に拡がり、映画館では最初に「挙国一致」「銃後を護れ」などのスローガンを上映することが義務づけられ、要は戦時一色に向かっていく。スローガンは本質を見えなくするが、多分そのとおりだった。「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」の熟語が「国民精神総動員実施要綱」に指導方針として書かれている。
 端的に書くのはとても難しいけれど、本書は刺激的でとても参考になった。物事を見る目、状況を詳細に描いていてもそこに「ナゼ」の視線を向けること、自分の視点の据えるべきところ、安直な判断や論理付けを回避すべき要点、表層的な天皇批判ではなくその深層-丸山真男流に言えば古層-に潜むものを見つめ考えること、等々。
 1937年の南京大虐殺における加害者がそのことをきれいに忘れ、1945年の被害者の仲間入りすることの論理展開を自分なりに一般化すると次のようになる。即ち、加害者としての立場を忘れ、被害者として振る舞ってしまうこと。それは加害については自分が痛みを覚えることがないので容易に忘れやすく、故に、加害者であることを自覚するには学習を要する抽象概念であって、被害者側に立つのは肉体的損傷のイメージが具体的に感覚されるからである。そもそも自らが何者なのかと自問することなくては自分に向き合っている他者の内面を顧慮することもできないではないか。このような気づきを改めて突きつけられた。
 1975年の天皇の記者会見。その後の茨木のり子の詩、藤枝静男の思い、朝日歌壇に所載された歌の切っ先が鋭い。

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