2020年8月16日日曜日

雑記

 渡哲也が亡くなった。長く俳優界で生きて人たちがなくなると「名優」と呼ばれる。この不思議さ。
 石原軍団と呼称されることに抵抗はなかったのか、テレビ番組で銃火器をぶっ放している無邪気さといえばそれまでだが。
 最初に勤めた会社を辞めるとき、所属していた設計部の送別会で8トラックのカラオケを初めて歌うことになり、そのときに取上げたのが「くちなしの花」。意外と上手いじゃないかと話しているのが聞こえてきた。渡哲也というとこの時の場面が思い出される。

 終戦記念日、同じセレモニーの繰り返し。
 降雨量の強弱で原爆症の認定が左右される。何故?症状で判断するのが基本と思われるが。いつわる人間が増えると際限がないという国会議員、あなたたちは何を守ろうとしているのだろうか。国がまずあって物事を見るのか、人々の生活がまずあって物事を見るのか、視座の位置がひっくり返っている。

 若い頃からずっと疑問に思っている。○○慰霊碑、△△記念(祈念)碑、これらを建立することで負の部分の全てをチャラにしてリセットしているとの思いが拭えない。悲惨な展示品を目にして過去の惨劇を振り返るのは重要なことだとは思うが、その心裏にはそれらを建てて終わりとする人たちの(行政の)思惑を感じてしまい、しこりが残る。

 多くの人たちを死に至りしめた責任が75年間も不明瞭であることは、どうしても此の国の無責任さ、真善美を希求する姿勢の欠如、などを思う。

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