2020年8月23日日曜日

カード紛失、飲み過ぎ、芥川賞2作

 20日、イオンモールのATMにて手続きをしようとしたらキャッシュカードがない。この場で紛失したのか、あるいは自宅でなくしたのか、取敢えず自宅に帰って捜すも、見付からない。しようがないのですぐに銀行に電話をかけて紛失の届けをし、カードの無効化と再発行の依頼をした。自宅になかったことで紛失してしまった犯人は自分であるとの気配が濃厚になった。
 失せ物は諦めた頃に見付かるとはよくいったもので、翌日銀行から連絡があり、カードが届けられたとのこと。無効化を取り消してもらい、カード再発行依頼もキャンセル。紛失の犯人は紛うことなく自分だった。

 22日昼、シャンパンから飲み始め、すぐに2本目にも手が伸びて短時間で2本を空けてしまった。以降、昼寝と酔いによるかったるさが続き、久しぶりの飲み過ぎ状態に反省。連れ合いにも軟らかく窘められた。

 第163回芥川賞の2作を『文藝春秋』で読了。大衆娯楽性よりも芸術性があるとされる「芥川賞」は以前より楽しめなくなっている。小難しい芸術的抽象概念の理解力/受容力が低下しているのだろう。

 <遠野遙 『破局』(『文藝春秋』、2020年9月号)>:主人公は公務員を目指して就活する(慶応の)法学部の学生で、体躯を鍛え、大学ラグビー部に所属するのではなく出身公立高校のコーチを勤め、自慰的性癖がある。警官による不祥事/犯罪、タックルなど伏線が張られて物語は展開し、最期には押さえつけられて空を見上げる主人公には不愉快さを覚える。自律的であろうとする姿勢であるからこそ余計に不快さを覚える。登場する人物はみな若く、深みのない生活姿勢にまったく共感できない。

 <高山羽根子 『首里の馬』(『文藝春秋』、2020年9月号)>:幾つもの異世界がパラレルに語られ、それが退屈で、不要と思える饒舌さもあり、読み続けるのに苦痛を伴った。沖縄であることの必然性、唐突に存在する宮古馬、意義を有すると思えない資料館、クイズで繋がる個々の人、・・・・一つの物語を語ると言うよりも、バラバラの想念を狭い世界の中で繋ぎ合わせてバラバラに語っているといえばいいのだろうか。
 書名に「首里」があって、冒頭に「港川」が出て来るので、壮大な時空を飛び交う物語かと期待したが、拡がりのない孤立している人たちの独り言が続く。

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