2018年8月18日土曜日

新書2冊

 <河合雅司 『未来の年表』(講談社現代新書、2017年)>:副題に「人口減少 日本でこれから起きること」。自分の生年1949年の出生数は269万6638人で、2016年は97万6979人と1/2.76=36%。同年の日本総人口は約8177万3000人、2015年総人口は約1億2709万5000人。2065年には1949年にほぼ同じ約8808万人に減少すると推計されている。1950年の65歳以上人口比率は約4.9%で、2004年には約19.5%だったが、10年経過の2014年には約26%となり、2016年には27.3%が所謂65歳以上の高齢者となっている。2020年には女性の過半数が50代になり、2023年には団塊ジュニア世代が50代となる。2024年には団塊世代すべてが75歳以上となる。女性が男性より多いから日本は「おばあちゃん大国」となり、収入の多い男性は女性より先に逝くので雑破に言えば日本は貧しいおばあちゃんの国になる。自分や連れ合いが何歳まで生きるのか分からないが、生まれたときにはベビーブームで今は高齢化社会の中枢を担っている。息子や娘、その子どもたちが年齢を重ねるに連れこの日本はどうなってしまうんだろうと思ってしまう。想像がつかない。周りを見れば年寄だらけとなるのは間違いない。
 65歳以上ではなく75歳以上を高齢者とすれば数字上の高齢者比率は抑制できる。労働人口も低くなるので自分のように60歳でリタイアして毎日を日曜日と化するのではなく、70歳までは働くようになるのかもしれない。年金だって75歳からの受給って話も出ている。何かもう一生働いてあとはなるべく早めにあの世へ、ということも現実化するような気がしないでもない。
 本書に書かれているように、利便性追求を止め(サービスの縮小)、拡大発展ではなく戦略的に縮むように転換し、行政区分を見直すことも必要かと思う。『「縮み」志向の日本人』と揶揄(?)される日本は意外と縮むのは得意かも知れない。忖度の好きなメダカ社会であるからして、ムラの親分が縮めようとすれば、もしかしたら日本は高齢化社会化へ適応する国のモデルになれるかもしれない。暗ーい気持ちになるのはしようがないヵ。

 <橘玲 『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書、2016年)>:酒でも飲んでいるときに知識をひけらかしてちょいと得意になるネタを仕入れるにはいい本である。例えば美人(イケメン)と不美人(醜男)の経済格差、ゴリラ・ボノボとヒトとの生殖器サイズの差異とその理由、ヒトの男性生殖器の特徴、遺伝と環境(共有環境と非共有環境)と人格形成への影響、等々。
 必要なことは、差別ではなく差異として人の多様性を受容し(場合によっては自分の周りからは斥け)、いまの現実をそのままに認めることであろう。現代社会は知能の高い層にとって有利な仕組みになっているのはそうであるし、「知識社会」とは知能の高い者が低い者を搾取する社会であることも誰も否定はできない。格差をいたずらに縮めようとはせずに、均等なチャンスを準備し、人びとの権利を平等に受け止め、さまざまな価値配分をどう効果的に行うのか、それらを考えることであろう。著者の主張に肯ける。
 少なくとも、「生産性」という切り口で人びとの多様性を云々する愚劣さは失くしたいものだ。「名誉男性」グループに属する女性は自律できなくなるのは当然と言えば当然のことでしかない。(名誉男性とは「男性支配社会に迎合して女性差別をする女性」-勝部元気の記事より。)
書名がいただけない。ここでしか言えないけど、実はこうこうこうなのよ、というような俗っぽいレベルに落とし込んでいる。

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