2018年8月21日火曜日

新書にマンガ

 甲子園で金足農業が大活躍。準々決勝と準決勝は最初から最後までテレビ観戦した。野球の試合をフルに見るのは随分と久しぶりで、それは秋田市金足は私の生地に近いので愛着があるからにすぎない。今の本籍は現住所の春日部市に移してあるが、結婚するまでは秋田市寺内将軍野にあって、幼児の頃、すぐ近くにあった陸上自衛隊駐屯地の人に遊んでもらい、小さな牽引砲らしきものに触ったような記憶が微かに残っている。金足はその生地の近くの北側に位置している。
 残念ながら金足農業は大阪桐蔭に大敗し、秋田県からの103年ぶり2回目の決勝での勝利、初めての東北からの優勝はならなかった。でも、公立校の地元出身だけからなるチームの活躍はとても好ましく爽やかさを感じる。

 <応地利明 『絵地図の世界像』(岩波新書、1996年)>:前近世、状況によって伸縮する日本国家の四方之境(四至)の内側は<浄なる空間>で、外方の異域は<穢なる空間>であった。その異域は二つに分かれる。一つは「異形の人間」の世界で北は蝦夷島、南は琉球であった。異形とは人間ではあるが鬼にもみなされうる存在で、分かりやすく言えば日本国の天皇の支配下に属せば人間で、外れれば鬼となる。この一つ目の異域から彼方に横たわる二つ目の異域があって、そこは羅刹国・鴈道であり、「人形の異類」である。「人形の異類」とは人間の形をした異類である。
 仏教思想によって日本国の思想は世界へ開かれるようになり、須弥山が中核をなす仏教的世界観において、日本は世界の縁辺に位置する「粟散辺土」ないし「末法の辺土」であった。やがて神国思想の登場によって「粟散辺土」「末法の辺土」たる観念は克服された。神国思想によって「国土ー異域」観と仏教的三国観は融合された。
 マテオ・リッチの地図に代表される地図の輸入によって日本の世界観は拡がりをもち、近世末期の日本の世界地図は次の3形態が並存する。ひとつは、南贍部洲万国掌菓之図を代表例とする仏教系世界図、一つは坤輿万国全図に連なるマテオ・リッチ系の卵形世界図。もう一つは蘭学者が好んだ、球体としての地球を強く意識させる半球図である。
 仏教的世界観では世界は本朝・震旦・天竺の三国であったが、1785(天明5)年の林子平『三国通覧図説』では朝鮮・琉球・蝦夷が三国として地図化されている。

 <ちばあきお+コージィ城倉 『プレイボール2 4』(集英社ジャンプコミックス、2018年)>:続編4冊目。ほぼ40年間の空白を経て連続する物語を見るのは不思議な感じもするし、人生の短さをも思う。

 <鴨下信一 『誰も「戦後」を覚えていない [昭和20年代後半篇]』(文春文庫、2006年)><同 『誰も「戦後」を覚えていない [昭和30年代篇](文春文庫、2008年)>:「戦後の生活史を振り返ってみるためのエピソード集。著者の感想はふんだんに散りばめられているけれど思索は浅い」-これは敗戦直後5年間を記したシリーズ1冊目を読んだときの感想。暫く放っておいた続編についても全く同じで、歌謡曲・映画、小説などの流行りを軽く記している。<天皇制下の民主主義>を<民主主義下の天皇制>、あるいは<軍隊>を<警察予備隊・自衛隊>とする「巧妙な読み替え」と指摘するも、指摘するだけでそこを掘り下げはしない。GHQがGo Home Quicklyとした背景は記すが当時の問題点と現在への連続性には触れない。それだけの、悪く言えば上辺をなぞっているだけである。

 <加藤秀俊 『人生にとって組織とはなにか(11版)』(中公新書11版、1999年)>:得るものは何もなし。

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