2018年10月10日水曜日

戦後史を語る一冊の新書

 <安田浩一 『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書、2018年)>:近代右翼を玄洋社のころから概説した後、戦後の右翼の変遷を記述する。それは、大まかには、戦前右翼との相違、共産主義台頭への恐れとそれに並行する政界・暴力との結びつき、新右翼の誕生、日本会議に繋がる宗教右派との融合、最近は下火になっているネット右翼への流れである。過去に知ったいろいろな右翼人たちの名前が妙に懐かしく感じられる。
 右翼を次のように分類している。すなわち、戦前からの流れを踏む伝統右翼、行動(皇道)右翼、一水会に代表される新右翼、日本会議などに繋がる宗教右派、任侠右翼、在特会などのネット右翼。そこに共通するのは「天皇」、「国体護持」であろうし、その場に立つ人の思いや生き方は否定はしない。ただ自分にとってはストンと入ってこないだけで、右翼と称する人の一部の主張には同感するところもある。そして思うのは、敗戦後にあの戦争に対してきちんと向かい合うことをしなかった、できなかった、この国の流され方やリーダー層の無責任性。「愛国」といいながら日米地位協定を受け容れていること、同じく防衛を外国軍備に依存している事実を是としていること、左翼や隣国を対語にすることで愛国を語ること、政治権力を丸呑みして代弁し拡声すること、等々には肯けるはずもない。
 年齢に数年の開きはあるが、年に2回ほどグループで飲食を共にする知人がいる。あるとき、彼が、日本のマスコミは中国人に乗っ取られている、漢字一文字の苗字の日本人マスコミ従事者を韓国人と断定する、朝日新聞や沖縄の新聞を悪口する。温厚と思っていた彼の、知識を披瀝するような口ぶりときつくなる表情に驚いたことがある。その浅薄な”知識”はYouTubeなどから得ているようであり、要は自分の感情に素直に溶け込んでくるフェイクニュースを何の疑いもなく真実とすることに半ば呆れてしまった。世の中の事実とされていることを疑い、その上で自己主張を行うということが大事と思うのであるが、疑うことの姿勢が決定的に欠けており、自己主張も主張ではなく感情の吐露としか思えなかった。反論しても議論にはなりようもない。
 敗戦後の処理に対し、日本とドイツを比較してみたいのだが-特に日本国憲法とドイツ連邦共和国基本法の成立過程-、概説する良テキストをまだみつけていない。

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