2019年8月10日土曜日

『エロマンガ表現史』、『戦後エロマンガ史』

 7日夜、MuKoからメールが入り、急遽8日に暑気払いという名目で、前回3月と同様に柏にて飲むこととした。ビールから始まりハイボール、焼酎ボトル、最後は日本酒と痛飲。

 <稀見理都 『エロマンガ表現史』(太田出版、2017年)>:2018年3月に北海道にて、本書が「青少年健全育成条例」規定によって「有害図書類」に指定され、ニュースになっていた。有害図書に指定されると、「青少年(18歳未満の者)への販売、貸付、贈与、交換等は固く禁止され」、書店などには「規則で定める方法で、他の図書類と区分して陳列し、青少年による購入等を禁止する旨の表示をしなければ」ならなくなり、陳列方法の具体例も提示されている。また、本書が「有害図書類」に指定された際の議事録は残されていなかったと報道されていた。議事録は残されていなかったのか、あるいはそもそも記録する行為がなかったのかもしれない(-日本は英米に比して公文書作成・保管・管理の重要性認識が極めて低い)。
 本書を読むと、よくもまあこれだけの「エロマンガ表現」が考えられるものではあると、感心、敬服する。欲望を圧する規制があると(ハードルを設けられると)、それを超えようとする、あるいはくぐろうとする智慧が働くのは人間本来の必然的行為であって、そこに創造性が発揮される。
 章立てを追ってみる。・・・男の視座からの「おっぱい表現」の変遷が説かれ、さらに「乳首残像」が誕生し拡散する。北斎の「蛸と海女」が想像できる「触手」が発明され、不可視の結合構造とそこからの外界をも見る「断面図」が深化し、女性の表情に「アヘ顔」が登場し、日本に豊富なオノマトペにも通じる「くぱぁ、らめぇ」の音響が発せられ、性器を直接に描けないものだからデフォルメし他のものに置き換える(貝とかオットセイなど)。等々エロマンガのエロたる表現が解説される。
 書店内をぶらつくにのは好きなのであるが、「有害図書」の類いが並んでいるコーナーには過去も現在も殆ど足を向けたことはなく、「エロマンガ」がかくも激しいものであるとは思わなかった。そして、海外にも日本の「エロマンガ表現」が拡大しているとは驚いた。アメリカから日本に移住してエロマンガ作家になっている人がいることにも、へぇっ、と思う。
 「エロマンガ表現史」が日本の世相・社会・政治などの同時代史と関連付けられて言及されていることが予想よりもはるかに少なく、結局は「エロマンガ」世界の枠の中だけで渦巻いているようで物足りない。その点では、「小難しいことをいう」『増補 エロマンガ・スタディーズ』のほうに読書意欲が強かった。

 <米沢嘉博 『戦後エロマンガ史』(青林工藝社、2010年)>:[エロマンガ前史]にてカストリ雑誌や夫婦雑誌、「奇譚クラブ」やSM雑誌などの出版が記述され、[戦後エロマンガ史]にて1951年から1991年までの厖大なエロマンガ週刊誌などの出版経緯が延々と続く。雑誌名、作家とその作品名がずらりと書き連ねられ、活字を追うのは苦痛になり、結局は刊行物のエロマンガ絵を駈け足で眺めたに等しい。行為の本質は何も変わらないのに、よくもまあこれだけのバリエーションが創り出されているものだと、半ば呆れ、半ば感心する。
 著者は、「マンガ研究の基礎資料の収集と評論活動などの幅広い業績に対して」手塚治虫文化賞を受賞し(他にも日本出版学会学会賞や日本児童文学学会賞、星雲賞を受賞)、14万冊の蔵書を明治大学に寄贈・寄託し、「米沢嘉博記念図書館」が運営されている。

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