2019年8月5日月曜日

エロマンガ入門テキスト、「表現の不自由展・その後」中止

 <永山薫 『増補 エロマンガ・スタディーズ』(ちくま文庫、2014年、元版2006年イースト・プレス)>:「「快楽装置」としての漫画入門」が副題。文化的に広い意味を有する漫画の中で、一つのジャンルを確立している「エロマンガ」を概観し、フツーの漫画しか知らない者にとっては、異世界を刺激的に知らしめてくれる好著。東浩紀が解説し評価しているように、内容的には研究書のようであり、思索的で、諸処に記される指摘は、なるほどそうなんだ、と説かされる。例えば、表現規制を求める側の論拠、あるいは表現規制強化に反対するロジックなどは簡便なテキストを読んでいるようである。
 東の解説文から引用して本書を端的にまとめてしまうと、それは、「性愛と暴力が分かちがたく結びついていること、他者の主体性の否定が快楽の源泉になりうること、つまりは「性の快楽は他者をモノ扱いすることに(も)あること」を、道徳的な糾弾の対象としてではなく、単なる文化史的な事実として、無数の表現を例にじつに雄弁に描き出すことができている」のである。日本のエロマンガは海外にも影響を与えている一方で、児童ポルノは大きな問題になっていて日本は欧米から非難されている。そこに考えねばならないことは、「キリスト教は性に関する罪は大きくて、セックス自体は罪ではないけれど、女性を人格として見ないでモノとして見るのは、非常に大きな罪です」(『性と国家』)ということであり、文化や宗教の相違とそこにある集団としての人間をもみつめなければいけない。
 本書は真摯に取り組まれているのであるが、多く掲載されているエロマンガの絵はかなり刺激的で、ある意味おぞましく、漫画文化の広がりというよりは異常な嗜好性を思ってしまい、そのようなマンガが連綿と買い求められていることは文化的頽廃と受け止めてしまう。また、所謂「萌え」系というのであろうか年端もいかない少女を多く絵柄にしていることはとても強い違和感を覚える。それは何もエロマンガに限らず、今の世に蔓延しているとも思える.幼児性にも繋がっているような思いもある。
 表現の自由のあり方、難しい問題である。

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(津田大介芸術監督)の企画展「表現の不自由展・その後」が中止された。電話やファックスなどによる顔の見えない抗議の殺到や脅迫もあり、さらには政治の側からの展示内容への反対表明。この国の「守らなければならないもの」というのは一体何なのだろう。規制されたなかでの秩序、強制される道徳・倫理、・・、いやーな感じがしてならない。
 己の感情をいっぱいなかに練り入れて、歴史だ伝統だとか道徳とかの外皮で包み込み、見た目の美しさの包装紙で飾り立てる、そこには他のモノを認知し、それぞれを尊重し、自立・自律するという思考性が薄いのだろう。あるいは、他者を自己に向けて同調させなければならないという、ある種の集団依存性があると思える。
 「行政の立場を超えた展示」とか、「国のお金も入っているのに、国の主張と明らかに違う」と発現する政治業の人たちは、「政府が右というを左といえぬ」といったかの愚人と同じ思考性(志向性)なのであろう。

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