2019年8月2日金曜日

一時の寄り道

 日本の、「神道」を中心とした宗教史を概観しようとテキストを読み続けたが、自分なりの、浅いなりにも「神道」の概ねの理解はできたつもりでいる。今後は特定の時代において宗教が果した役割とその位置づけ、あるいは特定の宗教-例えば法然・親鸞・儒教・道教など-をもうちょっとだけ入り込もうと思う。最終的には日中戦争/太平洋戦争/大東亜戦争の敗戦後に入りたいのであるが、その前段階としての、いわば戦争準備期間の歴史を踏んでいおくのは必須であろうと思い、なかなか先に進めないでいる。それに「寄り道」することも多々なので歩みは遅い。購入しておいたテキスト類も少なくないのだが手つかずのままでいる。
 で、ここで一息ついて、極めて庶民的な下半身中心の本を一気に読了しておこうと思う。そのものずばりの妄想拡大のエロ本、官能小説などではなく、それなりに評価を得ているマジメな社会学的な本である(なかには興味本位のものもあるが)。

 <佐藤優・北原みのり 『性と国家』(河出書房新社、2016年)>:「性」とタイトルにあるが、「性」的な側面から捉えているにすぎなく、本質は「国家」のあるいは世の中の歪みを論じている。物事の捉え方、考え方が参考になる。佐藤優氏の批判的発言は鋭い。

 <毛利眞人 『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影』(講談社選書メチエ、2016年)>:レコードを中心とした昭和初期の昭和モダンと称せられる時代がうかがえる。当時の歌手たちは戦後の歌謡界でも活躍し、遠く離れた時代の歌手という感じはない。
 「エロ」がタイトルに付され、著名な作詞家(詩人)もそれらの唄を作り、エロとかグロとかイットとかナンセンスとかの文字をちりばめたレコードを数多く出している。大正デモクラシーから昭和モダンの時代は、エアポケットに入った、一瞬の無重力、開放的な(悪く言えば享楽的な)時代と個人的には思っていて、それらが端的に表現されていたのがエロ・グロ・ナンセンスであった。これらの言葉が気軽に発せられていたことに驚きもする。いまならコケティッシュとかセクシーとでも表現する言葉が当時はエロ・グロであったのであろうか。
 カジノ・フォーリーの日本女性の写真を見ると、多分にその短躯・短足のせいか滑稽で、アメリカの、クララ・ボウなどのフラッパーの写真を見ると、その厚化粧がなんとも言えず時代を感じさせる。
 時代が進めば、いまのAKB48もジャニーズ事務所のグループも相当に滑稽に見えてしまうだろう。世に媚びた人たちの姿はいずれは滑稽に見えるしかないと思っている。
 本書、事象の羅列、紹介といったふうであり、当時の社会や人々への生活、一般化への思考が浅く、全体的にはカタログのような一冊。

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