2020年4月6日月曜日

新書2冊

 新型コロナウイルス感染者が増え続けている。特に東京での増加カーブがいつ右下がりになるのか気になる。住んでいる春日部市でも4/5現在累計14人となった。
 2月18日を最後に電車に乗っていない。スーパーマーケット以外には人のいるところには殆ど行っていない。散髪に行くのもやめている(昔のような長髪にチャレンジしようヵ)、飲食店にも行っていない。
 政府の動向を思うとイライラしてくるので考えないようにしている。特にアベノマスクで苛立ちが更に強くなった。

 <中野信子 『空気を読む脳』(講談社+α新書、2020年)><中根千枝 『タテ社会と現代日本』(講談社現代新書、2019年)>:
 以下は短絡的で妄想でもあろうが、あながち的外れでもなかろう。
 日本の国土には颱風があり、川の氾濫もあり、火山噴火もあれば地震もあり、津波もあるし、豊かな四季と言うけれど快適な春と秋があるからこそ冬は尚更に厳しく、この地に住む人々は常に不安の中にあった。安心感はセロトニンの量によって左右され、少ないと不安を感じやすくなる。セロトニン分泌量を調整するのがセロトニン・トランスポーター。このセロトニン・トランスポーターの数の少ない人数が日本人には非常に高い(約97%)。よって、日本人は、どちらかといえば悲観的になりやすくて真面目で慎重で粘り強く、自己犠牲をいとわない。真面目であることは閾を超えることへの不安の裏返しだろうし、慎重であることも同じく枠外へ踏み出す事への恐怖心とも言える。要は安心感への願望の強さかも知れない。
 人は不安を覚えると何かにすがりつきたくなり互いに寄り添う集合体を作る。さらに集合体の中で経験深い人に寄るようになって、自分の身の安定性を確保する。集合体=場の中でリーダー格におもねっていれば自分の不安は希薄化され、自己安定性を高められるようになる。集合体が何を目指すのかという理念はなく、あくまでも自分の保身と安定性を得ることが主眼となる。かくして場の中にタテの関係が構造化する。見知った人で場を作るから論理よりも感情が紐帯の基礎となり、相互依存で保護され、忠誠によって温情が得られる。この「場」が「公」であれば「公」と同じ平面上に「私」がべったりと張り付き、「私」のベクトルが「公」平面に直角に交わることはない(直角に交わるとは「私」と「公」が相互に影響し合わないこと)。

 「愛、親子の情、師弟の恩、仲間同士の連帯意識、感動、自己犠牲、忠誠心、誇り、絆・・・・そういったものをふわっと感じさせるだけで、なぜ世の中の大部分の人は押し黙り、納得して、大人しくされるがままになってしまうのでしょう?ずっと疑問に思っていました」と著者(中野)は“おわりに”の冒頭に記している。同じ思いが強く、例えば、「絆」がいかにも大事な言葉として口に出され、スローガンとなっているのを見ると強い違和感を覚えてしまう。

 『タテ社会の人間関係』を読んだのは今から37年前のことで、あらためて『タテ社会と現代日本』に目を通した。真新しいことはなく、頭の中を整理するつもりだった。37年前というと34歳の頃で、それから定年退職となるまでにはいろいろと「タテ社会」の経験の積み重ねはあった。幸いというべきであろう、自分が露骨な「タテ社会」を感じて忸怩たる思いをしたということは余り記憶にない。本来は上で決まったことに従順に従うことを求められた場面があったが、その決定事項に従わず、ある意味ちゃぶ台返しをやって意志を貫いたこともあった。それは多分に、製品設計という理屈で成り立つ世界にいたからこそ出来得たものなのかもしれない(対面を重んじる上司には嫌みを何回か言われたが)。「坊主と袈裟の分離ができない日本人の知識人」は鋭い指摘であるし、覚えておかなければならない言葉である。そして「論理性」を欠くことがないようにしたいものである。

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