2020年4月26日日曜日

雑記

 近くの100円ショップに行った。入ったら怒鳴り声が聞こえ、目を向けたらかなり高齢の男性が4点支持の杖を右手に、カウンターの前で男性店員さんに声を張り上げて怒っている。その声はよく通り、結構長い時間よく通る声が店内に響き渡り、店員はすみません、はいと返事を繰り返し、10分前後も続いていたと思う。何に怒りを向けていたのかは分からないけれど、この老人、ほかの客の不愉快さを招き、店内の空気を汚している自覚はないのだろう。

 昼、眠くなってきたので眠気覚ましに草むしり。やり始めると止まらなくなり約2時間、花壇一箇所を残して終了。手を付けた花壇では、いつものことではあるが、抜くべきものと残すべきものとの区別に自信がなく、もしかした間違って抜いてしまったものもあるかも、あるいは抜くべきものを残したのかもしれない。動物に限らず植物も生きているものは取り扱いが難しい。もちろん人間および人間社会も。

 まだまだ続く新型コロナウイルス、何となく来年になっても続くような気がする。アベノマスクは我が家に配布されても開封することはないであろう。カビや髪の毛や変色など、目に見える品質異常があったかぎりそれへの対応はなされるのであろうが、目に見えない品質はどのように保証されるのであろうか。
 能力のない医者のように“特に異常はみつかりません、暫く様子をみましょう、何かあったらまた来て下さい”のような対策。何かあってからでは遅いのである。敵が攻めてきているときに様子見でその攻め具合を眺め、何かあってから対策を検討しても遅いだけであろう。様子見とは、それを発する人間の「何もなければいい」という楽観的願望の色合いが濃いし、能力不足も背景にある。
 また、「一致団結して・・」、「みんなで・・」の主張があるが、この同調性を前面に出す情緒的対応願望、具体的には何をどうしようとしているのか理解できない。これらの主張で、事が上手く運ばないときにはまずは身を安全地帯に置き、「いままで経験したことのない」や「想定外」とか「集団責任」とかを言いだし、本質を見えなくする方向に進むものである。

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