毎年末のインフルエンザのワクチンや5回目のコロナワクチン接種も終わり、今年中に終えようとしている予定は1Fフロアの清掃&ワックス、あとは期限を区切っていないTo Do List記載の9項目。無論リストに記載していない誘惑(読書や好きな曲のEWIフィンガリング譜作成)は常に目の前にある。
<渡辺京二 『無名の人生』(文春新書、2014年)>:世の中に対する著者の考え方がよく理解できる、そして共感する、平易に書かれたエッセイ的な内容。以下、幾つかの引用とメモ。
「人間の生命に限りがあるのは、退屈さにピリオドをうつためではないでしょうか」
「要は、基準となるべき独自の尺度を一生かけてつくりあげられるかどうか」-高校時代からいつも思っていた(る)ことがある。人生に方程式はないのか、宗教というものは感化を受けるものではなくて自分で形作るものではないのか、既存の宗教はそのためのテキストの一つでしかない。その行き着く先には「自立と自律」というバックボーンがある。
「ケアとは、人間の存在を「ニーズ(基本的な欲求)の固まり」と捉える人間観・・・じつは、ケアこそが、もともとはありもしなかった人びとのニーズをつくりだしているのではないか。これがイリイチが看破したしたことでした」
「世話になっても依存したくはない」
「選挙民のメンタリティにモメンタムがはたらく」
「西洋では主人の言葉は絶対命令だけれど、日本では使用人は自分の考えを持ち、その方が主人のためになるなら、自由に裁量権を行使する」-忖度と連繋し、そして時には間違いを犯し責任転嫁される。
「(西洋の)彼らは「(日本の)娘たちは可愛らしいのに、どうして男は不細工なのか」とも言っています。だから「ムスメ」という言葉がフランス語にもなりました」-西洋人が幕末に描いた日本のスケッチのなかの男の不細工さに自分が繫がるとは思いたくない。
「フォークナーは「批評家とは馬の尻尾にたかるアブにすぎない。だから私は批評を一切読まない」と言い放ちました」
「「あなたは芸術に迷い込んだ俗人よ」。つまり、芸術家は俗世から切れてしまうものなのに、あなたはずっと俗人の世界に対して憧れを持ち続けているのね、と」
「陋巷に生きる」
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