2024年8月29日木曜日

指を切ってしまった、ちょっとした読書、ワインと爆睡

 8/21に右手人差指第2関節下を包丁で切ってしまった。6日後またもや不注意で今度は左手薬指先を包丁で切ってしまった。前の右手よりも深い。テープでぐるぐる巻きにしているので暫くはEWIの練習ができない。両方ともちょっとした不注意でちょいと情けない。
 数ヶ月前はフライパンで火傷を2回しているし、昨年は野菜のスライサーで指先を2回切ってしまい危険回避のためにそのスライサーを捨てた。それもこれも加齢のせいなのであろうか、否、単なる粗忽な性格によるものなのであろう。

 <フランシス・フクヤマ 『政治の起源 上』(講談社、2013年)><フランシス・フクヤマ 『政治の起源 上』(講談社、2013年)>:やっと(!)表紙を開いてほぼ一気読み。興味の中心は”人類以前”と”地域比較-主にヨーロッパ・中国・イスラム圏”。個々の地域国家とインドには関心が向かない。各章で参考となった文章は目次とともにエクセルにまとめて転記しておいた。
 10数年前に刊行された本書での指摘であるが、「苦境にある民主主義のキー」は「国家、法の支配、説明責任を持った統治機構、の均衡」とある。もちろん現在の状況にも当てはまる。国家間の紛争・戦争に目を向けるまでもなく、現役で働いていたときから組織(社会)で重要なのはアカウンタビリティ(説明責任)と思っていた。そして今、その説明責任に向き合わない政治家(屋)たちをニュースやSNSなどで日常的に触れると、結局のところは人間の組織の中における逃げとか不正義とか狡さとか正当化などというものは、”本能”だと割り切りしかないかと最近は思うようになっている。その本能に向き合うものが秩序や法であろうが、それもまた人間がつくりあげるものであると考えれば、何だろう人類はメビウスの輪の上をひたすらに歩いているだけとも思える。その輪の上にある僅かな凹凸や切れ目を拡げたり縮めたり填めたりしているだけのかもしれない。

 急に赤ワインを飲みたくなった。通常は白ワインを飲むのだが何故か赤を飲みたくなった。鶏肉のガーリック炒めと好物の砂胆-両者とも塩と黒胡椒での味付け-を作り飲み始める。夜は酔っていたくないのでいつものように昼飲み。アルコール入り葡萄ジュースといった体で1リットルを空けてしまった。その後は夕方まで爆睡。寝不足でもないのに4時間以上眠ってしまった。

2024年8月25日日曜日

幾冊かの読書と感想、思うことなど

 <佐藤優 『日本国家の神髄~禁書『国体の本義』を読み解く~』(扶桑社新書、2015年)>:買い求めた時に少し読んで辟易して頁を閉じてかなりの年月が経った。やはり読んでおかねばと思い忍耐強く読み通したが辟易としたことには変わりない。本書に向き合う姿勢は二つ。一つは「國體」-戦前の国家思想を指すときは個人的に旧字体を使っている-そのものに対して、もう一つは著者が理解し主張する「國體」に対してである。著者は『正論』に連載し、扶桑社からそれを新書として出版した。その名前だけで自分なりの判断を下している。
 「わが同胞、わが国家のために、自らの命を捧げ、状況によっては自らの命を投げ出す心構えできていない」ことが「何か足りない思想」だとの主張を目にするだけで背を向ける。
 『國體の本義』が示す高天原と、天照大御神の神勅を信じる「神話共同体」が日本であり、「むすび」がそれを支えるとする。『國體の本義』を政治エリートたちがキチンと理解すれば負け戦となる大東亜戦争-この呼び方にも抵抗は感じる-には至らなかったという。右翼と保守を峻別する。私的には「國體の本義」を理解したうえに立っての、神に直結する天皇を崇拝する日本という国は実現するはずもないと考える。日本神話であろうが西洋的な神であろうが、「神」そのものの理解と受容性が自分には欠けていると思う。端的に言えば「神」を信じるということ自体が理解できない。西洋的な神であろうが、日本神話に繋がる「神」であろうが何故に信じるのかキチンと理解できない。突き放してしまえば、理解しようとも思わないでいる。

 <渡辺京二 『バテレンの世紀』(新潮社、1017年)>:『黒船前夜』と違って没頭できなかった。何故なんだろうか、退屈してしまった。本書のせいではなく読み手である自分のせいであろう。

 <渡辺京二 『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫、2015年)>:イリイチが唱える「コンヴィヴィアリティ」、すなわち「自立共生」。理解できる(ような気がする)が、社会のあり方などの主張や論争に関心がなくなっている。簡単に言ってしまえばなるようにしかならない、考えを向けるのはそのなるようにしかならない社会や諸制度、政治そのもの歴史の積み重ねに対して自分はどうあるのか、どう捉えているのか、そしてどう向き合って日々を過ごすのかということだけである。

 <永井義男 『剣術修行の廻国旅日記』(朝日文庫、2023年/初刊2013年加筆修正改題)>:『剣術修行の旅日記』を加筆修正し、改題したもの。2013年初刊の朝日選書版は2020年に読んでいる。ためにざっと目を通しただけで終えた。

 <永井義雄・はしもとみつお 『不便ですてきな江戸の町 ②』(リイド社、2024年)>:シリーズ2冊目。内容も絵も楽しめる。

2024年8月23日金曜日

ふと思うこと

 高石友也さんが亡くなった(享年82歳)。「受験生ブルース」や「北の国へ」「主婦のブルース」が歌われていた時期は大学入学の年であり、あの頃に住んでいた高田馬場の4畳半の部屋や食事をした大衆食堂、諏訪神社を歩いていたときにアパートから聞こえてきたフォークソング、クリーニング屋さんのテレビ画面で歌っていた和田アキ子、点字図書館の前で偶然に会った従兄弟、その頃読んでいた本、等々が、切り取ったビデオ画面のように頭に浮かんでくる。
 18歳には色々な可能性が足下に広がっていたはずだが、その可能性を抽象的にしか考えられなかった自分がいた。

 松岡正剛さん(同80歳)、石川好さん(同77歳)も亡くなった。いつになるか分からないが、自分の人生の終わりも確実に近づいてくると実感する。部屋にある楽器やCD、読み終わっても取ってある本、積ん読状態になっている本、沢山の辞書等々の処分を考えねばならないだろう、捨ててしまう踏ん切りをつけねばならないだろうと考える。空っぽになる自分の部屋を空想する。

2024年8月16日金曜日

YouTubeトラブル続き、おっちょこちょいのミス

 14日に「YouTubeには頻繁にアクセスするわけではないので、原因を探るようなことはしない」と記したが、やはりそのままにしておくのは不快なのでテレビドラマを見ながらwebで原因&対処方法を探った。キーワードは「DELL Windows Youtube 見られない」。幾つかヒントを得られたので幾つか試したら正常にYouTubeにアクセスできた。時系列的に経緯を記しておく。
 ① Chrome拡張機能のAdGuardブラウザアシスタントを無効にする → 効果なし
 ② SmartByte Analytics Service, SmartByte Network Serviceの両者を無効にする → 効果なし
 ③ ②に加えて次のアプリも停止 Rivet AP Selector Service, Rivet Dynamic Bandwidth Management → 効果なし
 ④ 更にAdLock Serviceを停止 → 正常にアクセスできた。
 ⑤ 停止していたChrome拡張機能のAdGuardブラウザアシスタントを有効にする → 変化なし PCリブートでもOK
 ⑥ 停止していたAdLock Serviceを有効にする → 再度YouTUbeアクセス不能
 ⑦ AdLock Serviceを無効化、PCリブート → 正常なアクセスOK
 ⑧ MSワードの立ち上がりが遅くなるので②③を有効にしリブート → OK状態を維持。結局AdLockが悪さをしているのか。
 再現性を確認するために上記①~⑧を再確認。結局のところ、AdLockをスタートアップから除去し、あわせてAdLock Serviceも無効化することでOKとなった。が、なぜAdLockが突如悪さをするようになったのかは不明。というの、AdLockは以前から機能するようにしていたので、何かYouTubeかWindowsかChromeなどの更新との合わせ技でYouTubeにアクセスできなくなったとしか思えない。
 DELLにおいてのYouTubeアクセス不能については、Webでは上記のSmartBiyteやRivetに関する記述が見られるが、自分のDELLには影響はなく、結局はAdLockの仕様がNGであった。
 もう新規にPCを購入することはないであろうが、他にちょっとした不具合もあり。少なくもDELLを購入することはないであろう。

 YouTube絡みの不具合是正を調べている間に自室のテレビ周りのレイアウト変更を半日がかりで行った。変更は5年以上ぶりになろうか、テレビ専用のスピーカーやアンプの配置を変え、以前よりはすっきりした。

 そしてYouTube不具合の再確認を行っていたら今度はLAN DISKが繋がらなくなった。あぁ、今度はこれかよ、と思いながら表示されるエラーコードを頼りに回復を試みた。ネット関連の知識は皆無に等しいのでWebに書かれている一般的内容、IOデータに説明されている記述をもとにレジストリーの設定に入ったり、いろいろ確認し、最後にはバックアップしてある2ヶ月前の状態に戻そうかとも思ったが、夜も遅くなったので中断し自室に戻った。
 自室のPCを立ち上げたらここでもLAN DISKに繋がらず1FのPCと同じエラーコードが出る。ここでもしかしたらとふと思い当たり電源アダプターに目をやったら、なんとタップから外れている。レイアウト変更時に配線をいじくっていて外れてしまっていた。接続したらLAN DISKにはちゃんと接続された。がっくりきた。不具合で疑うのはまずはそれまでの自分の行動(言動)、成したことの振り返り、という基本的な姿勢であると再確認させられた。

2024年8月14日水曜日

Southern Raised、YouTube

 大好きなバンド、Southern Raised (SR) からLindsayが最近引っ越しをして脱退することになったとfacebookにあった。最初の4人姉弟のメンバーから最初にSarahが抜け(結婚と引っ越し)、次にLindsayが抜け、寂しさを感じるがしようがない。新しくMaggie Farnumが加入したとあり、彼女の名前で検索するとベースフィドルを演奏するらしいし、ファミリー・バンドでもベース・パートを担っていた(る)ようで、そのうちに彼女がベースを弾く曲もアップされるであろう。YouTubeにアップされた新しいSRによる最新映像では、(珍しくAlexも歌っている)4人でのハーモニー。

 何が原因なのか、1FのPC DELLにおいて、ChromeとMS Edgeの両者でYouTUbeが動作しなくなった。真っ白画面でフリーズしている状態である。前日までは何の不具合もなかったのに。
 FirefoxをDLして試したらそれでは正常である。通常はChromeを使用しているのでYouTubeのみFirefoxにして使い分けるしかない。・・・と思っていたらFirefoxでもだめになった。翌日になって試しにFirefoxを再インストールし、試しにOperaも入れた。そうしたらこの2つのブライザでは正常にYouTubeに入ることはできたが、相変わらずChromeとEdgeではだめ。何がなんだか分からない。・・・翌日になったらOperaでもFirefoxでもダメになった。YouTubeには頻繁にアクセスするわけではないので、原因を探るようなことはしない。

2024年8月11日日曜日

スピーカーユニットの変更、新規製作、EWI

 1FのPCから音を出すのに使用していたEDIFIERの音がどうも好きになれない。ついに堪えられなくなりスピーカーユニットそのものを交換して見ようと思った。実装されているユニットはどうみても安物にしか思えず、評判のいいユニット-といっても2個セットで4,000円弱のものだが-購入した。さあ交換という段に入ってから自分の迂闊さが判明。ユニットの呼び径は注意したが奥行きの確認を疏かにしてしまい取り付けが出来なかった。そこからちょっとした泥濘みに足を入れてしまい、結局は新規にエンクロージャのキットを購入して組立・塗装。・・・ブラック外観のPCと黒色塗装の新規スピーカー、さらにドライブするためのUSBコントローラとアンプがすべて黒く、全体的な外観はとても気に入った。
 EDIFIERのコントローラを利用するつもりでこれも改造したがやはり低音強調でかつ中音が籠った音であり不満全開。このコントローラで他の数種のスピーカーを鳴らしたがどれも好みではなかった。結局は新規製作スピーカーを鳴らすためにFOSTEXのボリュームコントラーを購入し、2F自室のシステム構成をほんの少し変更してFOSTEX AP15dを流用して接続した。この間約3週間近く要してしまった。
 更に、随分前にSTEREO誌で購入した2wayスピーカーの8cmユニットを余っていたフルレンジZ-Modenaと交換した。ネットワークの特性も無視してユニットを交換するのはどうかと思うのだけれども少しばかり高価なZ-Modenaを取り付けた。そのままでは取り付けられないのでアダプタープレートを自作。音質よりも工作を楽しんでいるといった風である。
 新たに購入してしまったものは以下;
 2.5インチスピーカーユニット、90mmファンガード(スピーカーグルリの代用)、エンクロージャキット+バッフルボード、FOSTEX PC100USB-HR2(中古品-FOSTEXより購入)、スペーサー、MDFプレート・・・合計約18,000円。スピーカーを作り、配線し、音を出すことは楽しかったが少々高くついてしまった。

 久保田早紀の名曲「異邦人」のボーカルをリムーブしてカラオケを作り、メロディーをEWIで鳴らして録音。これで48曲の録音となった。EWIの音色やバッキングを変えたりしたものを重複とカウントして除外すれば曲名だけで38曲となった。誰に聞いてもらうでもなく只管演奏の完成度を高めることに注力している。「異邦人」にしても深夜に何十回と練習してはある程度のレベルで良しとした。
 過去のものを聞き返すと案の定ミスには気付く。連れ合いに聞いてもらうと上手くなっている(気がする)との評価だが、自分では相変わらず下手だと感じている。出来ばえよりもプロセスを楽しんでいる。

2024年8月8日木曜日

踵の痛み、大腸内視鏡検査

 突然に5年ぶりに左足踵に痛みが出た。歩くときには少し左足を引きずる。経皮消炎剤を貼り、痛みが酷いときは鎮痛薬を飲むことが2回あったが、経験上5日も経てば消えるだろうと耐えた。そしてほぼ5日経ったら痛みは消えた。
 踵骨棘はいつ再発するのか分からないから財布と日常的に使用するバッグに鎮痛剤を欠かすことはない。次に出るのはいつだろうか、近くに住んでいるのに普段は顔を合わすこともないが、いつ何時に会うかもしれない知り合いに似ている。

 昨年11月下旬に行った大腸内視鏡検査で5箇所のポリープを切除したものの、生体検査では1箇所に「8mmのポリープに癌があるようなないような、顕微鏡で見るのだが小さくて判断がつかないとの検査結果」であった。その経過検査のために6日に人生6回目となる内視鏡が大腸の中に入った。主目的であった「癌」なのかどうか判明しなかった箇所はキレイになっており心配不要と言われたが、5mmと6mm計3箇所のポリープを切除。小さいので前回は切除しなかった模様である。生体検査の結果は2週間後。
 検査後空腹が堪らない。翌朝の体重測定では検査前日の値より1.9kg減量となっていた。

2024年8月5日月曜日

雑記、本3冊

 佐渡島が世界遺産に認定された。世界遺産の意義はきちんとしたものが存在するのであろうが、日本という国においては単に観光経済のための手段であると思える。

 オリンピック、歓喜と悔しさ、賞賛と批判、等々。スポーツ観戦は好きだが感動の押し売りは不愉快。

 <藤巻一保 『戦争とオカルティズム 現人神天皇と神憑り軍人』(二見書房、2023年)>:暑いので一気読みとはいかず3週間ほど要してしまった。何故に神憑りになってしまうのか十分には理解できない。現人神天皇化による教化と臣民統制によって、何かに依存して自己顕示・自己確立を志向するする人が神憑り的になってしまうのであろうか。その本質は、人は何かに支配されたい、従属したいというような気質があるのかもしれない。そうすることによって集団の中で生きることが楽になるのであるから。 語られる(章立てされる)人物は、四王天延孝・安江仙弘・犬塚惟重・山本英輔・小磯国昭・矢野祐太郎・浅野正恭・秋山真之・秦真次・満井佐吉・相沢三郎・磯部浅一・清原康平・大岸頼好・大久保弘一・石原莞爾、最後に昭和天皇と東条英機。

 <沼井邦満 『メコンの南の町から』(新潮社、2023年)>:サブタイトルは「タイ、田舎の高校で過ごした500日」。メコン川の南、ラオス国境に近いタイ/ルーイの近くの高校で日本語を教えた体験記。タイの文化、環境を主に描くが、相対的日本文化への批評、文字文化に対する記述も多い。読む前には濃厚なタイの人々の生活や文化の活写を期待したが、さほどではなく浅くて薄いという感じである。一方、日本文化批評あるいは漢字字義に多くの頁が割かれていた。しかしそこには真新しいさや鋭さはなく、全体的にこちらの前のめりの期待に肩すかしをくらった気分である。

 <辻田真佐憲 『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)>:サブタイトルは「愛国と神話の日本近現代史」。その内容は、「大日本帝国を「神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家」と定義したうえで、戦前を五つの神話にもとづく物語に批判的に整理し」て論じられる。五つの物語とは、「原点回帰」「特別な国」「祖先より代々」「世界最古」、そして「ネタがベタになる」物語。 先に読んだ神憑り軍人の基礎にあるのが明治になって完成された「神話」である。神話への原点回帰というよりも、明治回帰を主張する声が今は濃くなっている気がする。現在の日本の姿を形作ったのは記紀に依拠する歪んだ神話形成である。