「わが同胞、わが国家のために、自らの命を捧げ、状況によっては自らの命を投げ出す心構えできていない」ことが「何か足りない思想」だとの主張を目にするだけで背を向ける。
『國體の本義』が示す高天原と、天照大御神の神勅を信じる「神話共同体」が日本であり、「むすび」がそれを支えるとする。『國體の本義』を政治エリートたちがキチンと理解すれば負け戦となる大東亜戦争-この呼び方にも抵抗は感じる-には至らなかったという。右翼と保守を峻別する。私的には「國體の本義」を理解したうえに立っての、神に直結する天皇を崇拝する日本という国は実現するはずもないと考える。日本神話であろうが西洋的な神であろうが、「神」そのものの理解と受容性が自分には欠けていると思う。端的に言えば「神」を信じるということ自体が理解できない。西洋的な神であろうが、日本神話に繋がる「神」であろうが何故に信じるのかキチンと理解できない。突き放してしまえば、理解しようとも思わないでいる。
<渡辺京二 『バテレンの世紀』(新潮社、1017年)>:『黒船前夜』と違って没頭できなかった。何故なんだろうか、退屈してしまった。本書のせいではなく読み手である自分のせいであろう。
<渡辺京二 『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫、2015年)>:イリイチが唱える「コンヴィヴィアリティ」、すなわち「自立共生」。理解できる(ような気がする)が、社会のあり方などの主張や論争に関心がなくなっている。簡単に言ってしまえばなるようにしかならない、考えを向けるのはそのなるようにしかならない社会や諸制度、政治そのもの歴史の積み重ねに対して自分はどうあるのか、どう捉えているのか、そしてどう向き合って日々を過ごすのかということだけである。
<永井義男 『剣術修行の廻国旅日記』(朝日文庫、2023年/初刊2013年加筆修正改題)>:『剣術修行の旅日記』を加筆修正し、改題したもの。2013年初刊の朝日選書版は2020年に読んでいる。ためにざっと目を通しただけで終えた。
<永井義雄・はしもとみつお 『不便ですてきな江戸の町 ②』(リイド社、2024年)>:シリーズ2冊目。内容も絵も楽しめる。
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