2016年3月15日火曜日

本2冊

 <ピエール・ルメートル 『悲しみのイレーヌ』(文春文庫、2015年)>:『その女アレックス』の前作。この作者に限っては異様で残虐な殺戮描写も冷静に読める。ホラーの小説・映画は嫌いで(怖いので)絶対に読まないし見もしない。その範疇で言えばこの本も読めない筈であるが、作者は殺人現場の残酷さを誇張せずに淡淡と描写しているので抵抗はない。また主人公カミーユは魅力的な人間であり、周囲の人々との関わりや会話も活き活きと書かれているので引き込まれてしまう。
 異常な殺人犯の行為によって、最後は書名どおりに悲しく終わる。

 <坂井豊貴 『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』(岩波新書、2015年)>:昔(中学or高校時代)から多数決に違和感をもっていた。そのうちに「多数決の暴力」なんていう台詞も口に出していた。間違っていた、あるいは意味のない決定を多数決で決められると、それは愚かな行為でないかと思い無視を装ったこともある。そして政治の場においては、「民意」をすぐ口に出す小賢しさを嫌悪し、「選挙の禊」に至ってはその愚かな倫理感を嗤っていた。当選者への投票と同時に当選させたくない者への投票もあっていいかとも思っていたし-弊害はある-、あるいは投票順位にスコアリングすることで少しはまともに近づくのではないかとも思っていた。こんなこともあったので多数決の疑問を論理的に明示するこの本は選挙の投票に関してもやもやしていたものを解き明かしてくれる。

 投票する側について少し考えてみる。投票する側には適切に情報が与えられ、投票者はその情報を活用して自分で考え、私と公の峻別をし、理性を働かせて熟考し選択肢の中から選ばなければならない。しかし、現実を思うとそれは理想論的すぎる。そもそも、いまの普通選挙というシステムは適切でないと思っている。制限選挙というと時代に逆行していると簡単に非難され否定されるが、運転免許のような拘束を選挙権につけても良いと思っている。そして権利を得るからには棄権にはある種の罰則も必要と思っている。このことは学者や評論家も指摘している。
 良識の府と呼称される参議院が衆議院と同じように政党制に組み入れられ、同じような選挙で議員を選ぶことにも大きな疑問があるのはいまや一般常識化されている。良識の府に所属する、良識とは言えない議員も簡単に思い浮かべることができる。
 大体が、多数決投票=民主的と短絡的に結びつけることに異議がある。民主(的)の本質をもっと深耕すれば、おのずと選挙制度へ踏み込むことになると思うのだが...。・・・愚痴が多いな、年のせいかな。
 民主・維新の両党は「民進党」となるらしいが、なんだか分からない。どっかで聞いたことがあると思ってたら台湾の民主進歩党=民進党だった。日本の民進党の民進って何の意味?何のイメージ?何の言葉(文章)から取上げてくっつけたの?選挙の時に平仮名で書くと「みんしん」と「みんしゅ」は間違えそうだな。