2016年11月17日木曜日

シニアの品格

 <小屋一雄 『シニアの品格』(小学館、2016年)>:「ひんかく」など考えたことがない。あるとすれば商品開発部門に所属する現役サラリーマンだった頃、品質管理部を略した「品確」とそれを揶揄した「貧確」。我が身を振り返れば何の格もない「貧格」か。
 定年退職が間近で出世コースから外れた東条が奧野老人と出会ってそれまでの人生を振り返り、自己変革して様を描く自己啓発風の小説。企業人としての恨み節からはじまる東条はまあつき合いたくないステロタイプの人間である。それが鮮やかに変化していくのであるが、その過程に肯く箇所もあれば、そうかなと思う箇所もある。雨滴を眺めてたゆまざる努力を説く賢人もいれば、会話の中で相手自身の姿を気づかせる達人もいる。奧野老人は後者。「私の場合はただ単純に、世界とのつながりを楽しんでいるだけで、自分を高めるというよりも、ただ、生きて楽しむということだけなんです」と虚静恬淡の姿勢で、「『品格』があるとすれば自分から関心が離れていくこと」と言う。その境地には到底およばない我が身であるが、ちょっと待って、そこでいう世界って何を意味しているのか、どのような世界なのか、またその世界との繋がりを媒介するものは何であろうか、それらを自覚した上での楽しみではなかろうか、と思う。例えば、”他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と未来だけ”という「世界」観を持っている場合、繋ぎとなるのは歴史を学ぶことでもあり、哲学を囓ってみること、あるいは小説を読むことなどであり、それらを通して”この世界でオレは何者だ”と問い続け、それを楽しむことではなかろうかと考える。
 奧野老人が奥さんとの関係を話す言葉、「美代子は私にとって畑で、私はそこに生える草だったんです」。こういう夫婦は素晴らしいと言えるのであろうが、俗人に言わせてみれば-悪ふざけである-、畑に種はどう蒔いたのか、いい草を伸ばそうとしても畑の質が良くなくてさ、てこともあるし、更には権兵衛が種蒔きゃカラスがほじくることもあって・・・・、ふざけすぎ。

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