2019年10月24日木曜日

22日祝日、永井さんの文庫本

 22日、近くの郵便局に葉書を10枚買いに行った。平日なのに閉っている。臨時休業なのか、でもそれならば何らかの休業通知の貼り紙くらいあるだろうと入口に行くも何もない。しようがないのでコンビニで購入。帰宅して連れ合いに、今日は全国的に休みだっけ、と聞いたら少し間をおいて返事があった。天皇即位の儀式の日で祝日になっていたことを知らずにいた。
 世界中の多くの国で、儀式では礼服に勲章・褒章・綬(呼称が正しいの自信はない)をつける。厳かなのであろうが、何か違和感というか滑稽というか、そんな感じが拭えない。逆に、自国の伝統に一貫するサウジやブータンに凜々しさ、清々しさを感じる。
 日本での儀式は古式に則って行い、各国からの来賓を迎えるときは西洋式になる。和洋折衷の最たるものか。

 <永井義男 『本当はブラックな江戸時代』(朝日文庫、2019年)>:「美化されがちな江戸時代を軽妙洒脱に徹底検証!」と帯びにある。徹底検証はちょいとオーバーだが、時代劇や江戸人情小説で描かれがちな時代描写や人間模様は、それは幻で、現在の目で作られたものですと、と言っている。そのような認識は当然にあって別に驚きもせず、へぇ~っとも感じない。ブラックな面も今の目で見るからブラックなのであって、当時はそれが現実であった、ということでしかない。識字率が高いというのも、対象となる「字」はどこまでさしていたのかと問えば、「識字」のレベルが疑われよう。たしか、寺子屋ではくずし字の読み方を教えるのが基本であったと何かで読んだ。武士にしても殆どは組織の中でぬるま湯につかりボーッとしていたろうし、アーネスト=サトウが指摘するように殿様には馬鹿が多かった。権威だけを持たせて馬鹿であれば、実務を担う者たちは何事に付け実務をやりやすかったに違いない。
 永井さん、江戸を説明する本はもういいから(本来の)小説を書いて下さいよ。

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