2019年4月12日金曜日

本3冊、他

 <森達也 『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(講談社文庫、2018年、初刊2013年)>:この世の色々な世事についての評論。書名の箇所だけを取上げれば、「死刑制度が被害者遺族のためにあるとするならば、もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽くなってよいのですか」という問いかけである。
 犯罪者に対し厳罰化に進まないノルウェイの考え方、死刑を実施している州の死刑への対応、それらに比して明治以来絞首刑が維持されている日本とこの国の最近の厳罰化への傾向について考えさせられる。死刑に関しては、仇討ちを認めればいいと論じていた呉智英の主張を思い出す。しかし、その際も天涯孤独の犯罪者へは誰が仇討ちをするのだろうか。
 日本では改憲が一度もなされていない、日本以外の国では何度も改憲されている、と主張する人がいるがそもそもシステムの異なる国と比較しても意味がない。改憲は常に俎上にあげられてもいいと思うけれど、今の日本でどこまで真摯に、本質的に議論できるのかは甚だ疑問である。そいう意味では今の改憲には肯けない。
 実態のない集団名で語られるものは容易に本質から目を逸らして責任もあやふやになることは日常的にどこででも、勤務先でも観察されることである。
 「表現の本質は欠落、つまり引き算にある」とすることに得心する。流れるニュースには色々な加算がなされている。コメンテーターと言われる人たちが彼らの感情や意見を加えることに苛立ちを覚えるし、面白おかしく日本語をかぶせて外国人の言葉を流すのも好きではない。本書で知ったことだが、2004年頃から北朝鮮の一般国民が金正日について「偉大なる首領さまである金正日同志」としてボイスオーバーするようになってきたということらしい。今は金正恩を語るときに必ず「我等が偉大なる指導者・・」云々と流れる。朝鮮語を知らないからそれが事実なのか否かは視聴する側としては判断できない、それどころか原語は一切出てこない。別に北朝鮮や他国に関心は希薄であるけれど、我々は一体どのようなフィルター、あるいはアンプリファイヤを通して聞かされ、見せられているのだろうか。

 <與那覇潤 『日本人はなぜ存在するのか』(集英社インターナショナル、2013年)>:書名に「日本人」とあるが、日本人固有の存在を探る内容ではない。キーワードは「再帰性」。一般的な考え方である”因果関係”で現実と認識を結びつけるのではなく、認識論的な考え方である”再帰性”で現実と認識をループさせる。日本人とは、国籍とは、日本文化とか、・・・すべては再帰的な存在であるから普遍性も絶対性も不変性もない。「「日本人とはなにか」という問題は、「人間は再帰的にしかその定義を出しえない」というもう一回り大きな問題の一部」」である。簡単に言えば、当たり前として見られていることに当たり前として断定できるものはない。現実と認識はたえずループを描いているということである。認識論の入門書。

 <北村良子 『論理的思考能力を鍛える 33の思考実験』(彩図社、2017年)>:<第1章 倫理観を揺さぶる思考実験>では「暴走トロッコと作業員」系、<第2章 矛盾が絡みつくパラドックス>は「テセウスの船」・「アルキメデスと亀」、およびタイムマシン系が載せられている。ここまでは殆ど知っている思考実験の課題であり、<第3章 数学と現実の不一致を味わう思考実験>では知っているものもあれば初めて知る問題ある。この章では「モンティ・ホール問題」(同型の3囚人問題が有名)から始まって「ギャンブラーの葛藤」「トランプの奇跡」「カードの裏と表」など確率論的な問題が中心となる。この章では頁を開いたままにし、無謀にも数学的に解こうと試みることが多くなるが、数式を使っては解けないので実際は心理的な側面で考えるのが主となる。最後は<第4章 不条理な世の中を生き抜くための思考実験>。
 小説や歴史書、評論などの活字を追うのに疲れて、あるいは倦きたときの口直しといった案配で開いてみた本。「思考実験」をウェブで探せば沢山ヒットし、好みのものを選択できるのであえてこの本は買う必要はなかったようである。

 「忖度」副大臣が更迭され、桜田五輪担当相が辞任した。両者のニュースを見ていると呆れると共に滑稽である。桜田前大臣は言葉を発する度に、あるいは官僚のアシストを求める度に嗤ってしまうし、前の金田法相の域を超えて歴史に残るお笑い大臣として記憶に残るであろう。失言とかのレベルを超えて単にバカ、無能なだけである。まあ、両者だけでなく他にも沢山おそまつな大臣はいた。
 桜田議員の資質を問うよりも何故にあのような人が市議-県議-国会議員として選ばれるのか、そこに大きな問題がある。選挙に立候補するのはどんなバカでも勝手であると思うが、それが選ばれるという根本的欠陥が現選挙システムにあると思う。それから桜田を「裏表のないいい人なんだけど・・」と評する人がいるが、裏表がないのは換言すれば裏も表も選ぶことができない、頭の中に抽出しが一つしかない貧弱な教養と感性の鈍さ、浅い想像力の裏返しとも言える。簡潔に言えば単純無知(恥)、決して純粋無垢ではない。

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