2019年7月5日金曜日

三陸へ2泊3日

 29日(土)、7時25分のバスに乗ったのは遅かった。もし8分後のバスだったら大宮での新幹線乗車には間に合わなかった。いつもと違って時間に余裕を持たせることが頭から抜けていた。
 仙台までは途中停車がなく、仙台から一ノ関までは各駅停車。一ノ関からはバスで釜石へ向かい、そこでたっぷりの時間があり、どうせホテルでの夕食は魚づくしになるであろうからと魚介類は避けてゆっくりと昼食。釜石は小さな駅で賑わいはまったくない。ラグビーの街をうたう建物の文字などが妙に寂しげである。この駅は45年前に通過あるいは乗り換えているのだが全く記憶がない。
 釜石からは三陸リアス線で宮古へ。人気があり、電車内は立っている人も多い。運良く海岸側の席を二つとれた。45年前には宮古から釜石まで、詳しく書くと宮古~陸中山田、岩手船越~釜石まで、旧JR山田線に乗ったことがあるが、逆にたどる今回は車窓から眺める風景に以前の記憶はなく、それに駅周辺の建造物はみな新しいし、重機がたくさんあって土木工事中の地域も多い。あの震災で、歴史の中に連続する時間が跡切れ、町並みや家屋が新しく作り直されることは、生活そのものの連続性が断ち切られてリセットされる(する)ことであり、悲惨さと諦めと未来への希望とが混濁して複雑な気持ちになってしまう。
 北山崎へ向かう途中から雨脚がひどくなり、霧で視界も悪くなり、50年ぶりに訪れた北山崎では下車することもなく落胆した。もう再訪することもないであろう。
 この日は田野畑村の海沿いのホテルに宿泊。案の定魚料理が多い。油目の刺身を追加するが、油目とは鮎並、美味いとは感じなかった。

 2日目は北山崎断崖クルージングが予定されていたが、あいにくの雨と視界不良で運行中止。昨日に続き今回一番楽しみにしてた50年ぶりの北山崎への期待は悉く外れてしまった。ここ数年間のパックツアーでは雨が多い。多すぎる。
 次は龍泉洞。意外な狭さにここも期待外れ。確かに地底湖の透明度はすごいし奇麗。だが、以前訪れたあぶくま洞や沖縄の鍾乳洞、石垣島の鍾乳洞、飛騨鍾乳洞の方が楽しめた。おそらく歩く距離の違いがそうしているのだろう。就寝前の焼酎かウィスキーを割るために龍泉洞の水は買っておいた。
 しかし、ホテルでも土産物店でも意外だったのが焼酎が売られていないこと。日本酒とワインはかなり多いが焼酎がない。夕食後に飲もうと買った焼酎は鹿児島のものだった。地元の粕取り焼酎を少しは期待したがそれもなかった。岩手・宮城では焼酎はあまり飲まれないのかもしれない。
 この日は1969年および1974年以来となる浄土ケ浜にも行ったが、奇麗に整備された道路や土産店がすっかりつまらなく感じた。こんな景観を若い頃は楽しんでいたのかと、そんなかつての自分にも落胆の思いを抱いてしまった。
 南三陸町の大きなホテルに宿泊。予定変更で早い時刻にチェックインしたので、夕食前から焼酎を飲んでいた。この日は午後4時頃から寝るまでよく飲んだ。

 最終日3日目は7月1日で今年も恰度半分がすぎた。陸前高田の工事中の風景に言葉を失ってしまう。道路橫のボードに進捗率5%とあるように目の前に建物はほとんどなく、平地で、工事中の重機が立ち並び、テレビなどで観た情景よりもはるかに衝撃的であった。遠くにはレプリカと化した「奇跡の一本松」を眺めた。一人参加の75歳の男性が東京オリンピックなんてよくやるよな、この風景を見て復興オリンピックなんてよく言えるよね、と話しかけられた。同感。この地に住んでいた人たちは東京オリンピックに向けて昂る声に何を感じるのだろう。
 帰りの新幹線の時間に合わせたのであろう、やたらに自由時間がたっぷりあった。松島で3時間近くをぶらぶらして時間つぶし。土産物店で便器の前に立っていたらコップ酒を目の前において用を足していた人がいた。その人は同じツアーに参加している男性(老人)4人グループの一人で、トイレを出てからはベンチに座って4人で飲んでいた。この4人組、どこにいてもよく飲んでいた。初日の新幹線、三陸リアス線でもコップ酒から日本酒の大きな紙パックも手にし、飲んでいた。夕食時ももちろん飲んでいたし、さほどに昼から(もしかしたら朝から)飲んでいる人たちは初めてみた。

 雨にたたられ、期待していた景観を目にできず、時間はたっぷりあって、以前訪れた景勝地などには興味が薄く、極端に言えば、いつもの日常を離れて電車に乗って温泉に入り上げ膳据え膳で食事を摂り、ゆったりした3日間、そういった旅行だった。

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