2020年5月10日日曜日

高校初登校、近代関連の新書

 7日、娘の長男が高校初登校。いまのところは今月いっぱいまで休校で、来週からはタブレット活用もあるらしい。本来なら国内遠隔地でのイベントなどもあるのだが諸々の行事がなくなった。海外への研修旅行もなくなるであろう。夏休みがなくなるのは本人も覚悟しているようである。
 制服姿を見せに来て、改めて大きくなったと思うし、大人になって来たと感じる。まだネクタイはちゃんと結べないようである。

 <渡辺京二 『近代の呪い』(平凡社新書、2013年)>:本書での「近代の呪い」とは①インターステイトシステム、②世界の人工化を意味している。
 近代以前、民衆の社会はその内部で強固に自立しており、その民衆社会の上に成立している藩や国家的次元での物事に、民衆は無関心であったし直接的に結合していた訳ではなかった。例えば、馬関戦争時において長州の民衆は外国軍の物資運搬をしていたし、会津戦争では民衆は藩の危機に我関せずの態度であった。英仏戦争時においても国民と国民の戦争ではなかった。このように、国家と関わらない民衆世界の自立性(自律性も)を滅したのが近代であった。
 知識層は国外の世界を見て自国の半文明性を知り、外国との経済競争勝利を目標におき、いわゆる富国強兵を目指した。国家のために民衆を教育し、国家のために民衆を動員し、結果、近代化によって国家の動向が民衆生活に直結するようになる。近代以前、民衆は自然と共生するのであるが、近代では国家経済の安定をはかり、人工的世界を築くために自然から資源を収奪するようになる。
 その近代から現在に繋がる国家に属して自分も生きているのであるし、国家に管理され、また援けられているのであろうが、自分は、自分という存在、精神的あり方を独立して持っておきたいと思う。

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