2020年5月12日火曜日

最後のトリック、暇潰しの一冊

 政府がらみのニュースを見ていると実に不快な気分に陥る。だから繰り返しては見ない。物事をキチンと理解しようとしない、否、もともと理解できる能力も、理解しようとする能力も有していない、こういう人たちはとても打たれ強いし、焦点のずれた言葉を弄ぶ。

 <深水黎一郎 『最後のトリック』(河出文庫、2014年)>:「読者が犯人」が本書の惹句であるが、「読者」はこの文庫本を読んでいる読者ではなく、本書の中に描かれる小説を読む人のこと。しかし、その読者が罪を犯す訳ではなく、病的原因で死ぬ登場人物が読者を意識することで死ぬのであり、その人物が「読者が犯人」と主張するだけである。ここには道徳的にも法的にも犯罪はない、よって実際には犯人はいない。
 独創的なパズル(ストーリー)の中に個々のピース(シーン)をうまく嵌め込んでいるが、自分の趣味の枠からははみ出している。超能力や本書の骨格となる「手紙」に書かれる、普段目にしない漢字-例えば繖形・虞れ・心悸・簇がる・瞞着等々-は楽しめた。豊富な語彙に接するとわが身の語彙欠乏が嘆かわしくなる。

 <別冊宝島編集部 『教養としての日本の上級国民』(宝島社、2020年)>:イトーヨーカドーにある小さな書店で衝動買い。暇潰しの一冊。章立ては、安倍家、総理輩出の政界「名門」、財界、キャリア官僚、メディア、令和のニューエリート。閨閥の系図を見ていると、平安時代の中央政府のそれを見ているような気になるし、財閥を見ると明治の官営事業払下げを直感する。政財界の閨閥を存続させている限り、そこにあるのは男性優位の社会であり、少なくとも政界での女性活躍は遠い先のことと思う。

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