2017年2月1日水曜日

小説など

 <塩見鮮一郎 『貧民の帝都』(文春新書、2008年)>:「貧民シリーズ」としては最初に出版されているが、読む順番としてはこれが最後になった。明治維新で支配層や富裕層は江戸を離れ、大名たちは地方に戻り、人口が半減した江戸の都市機能は破壊され、旗本・御家人ばかりではなく、国に連れて行かれなかった中間や小物、下級武士は街に放り出され、かといって職もなく貧民は濫れた。困窮者を収容すべく施設はあれど、僭称廃止令で穢多・非人は表だっては存在しないこととなり、彼らの収容施設(救育所など)は廃止され、生活困窮者は路頭に迷うばかり。人身売買の廃止もなされ、借金がなくなった多くの遊女たちも吉原から出されて街をさまよう。かくして維新後の東京は人力車に書生があふれ、かつ「貧民の町、スラムの都」と化してしまった。こういう歴史は学校の教科書にはでてこない。横山源之助『日本の下層社会』・松原岩吾郎『最暗黒の東京』・同『職工事情』を展開する紀田順一郎『東京の下層社会』を以前読んでおり、改めてその時代の貧困を振り返ることとなった。
 著者の「貧困シリーズ」、全体を通して著者は何を描こうとしたのか発散気味。貧民も書く、手をさしのべた者も書く、施設の歴史もたどる、等々総花的な印象がある。

 <藤沢周 『安吾のことば』(集英社新書、2016年)>:副題は、「『正直に生き抜く』ためのヒント」。安吾と同郷の作家が、時には安吾を兄貴と慕い、安吾の言葉をピックアップして解説を加える。
 20から22歳の頃に坂口安吾の本を集中して読んでいた。読んだ内容について記憶はほぼ消え去っているのだけれど、ずっと残っている言葉が幾つかある。「テッパンに手をつきてヤケドせざりき男もあり」は多分酔っていてヤケドしたときのもの。自嘲した言葉だったのか。また、読んでいた頃、両親や姉に反発した感情を抱いており、「親があっても子は育つ」の言葉は真理を突いていると思っていた。「魔の退屈」と「歯の痛み」も好きだった。そう、世の中がどうこう動いているときの無目的な生活と、耐えきれない歯の痛みを嘆く安吾が好きだった。「黒谷村」が好きだった、ただ好きだったという記憶しかない。また、「不連続殺人事件」は推理小説としてかなり上位にランクされていたが今はどうなんだろう。
 数ヶ月前に『堕落論』の文庫本と安吾に関する雑誌を買ってきた。そのうちに頁を開いてみよう。

 <菊池敬一・大牟羅良 『あの人は帰ってこなかった』(岩波新書、1964年)>:『貧民の帝都』に記されていてWeb上の古本屋より購入(送料よりも安い95円)。岩手県和賀郡横川目村(現在は北上市和賀町横川目)は、敗戦時わずか93戸の部落であり、そこから125名が出兵し32名が戦死して11名の未亡人が生じた。当時、多くは10代で嫁ぎ、なかにはたった5ヶ月の夫婦生活で子をなし、夫は戦地に赴いて帰ってこなかった人もいる。若くして夫を亡くし、小さな子どもを抱え、残された舅姑の面倒を見ている。まだ20代にさしかかったばかりである。夫がなくなれば男が言い寄り、女の独り身を下卑た視線で眺める。人の社会のいやな面がいやというほど感じとられる。この新書にも描かれているように、「後家には気をつけろ!」、「男は敬遠気味、女は警戒気味」となってそれでいて監視の目が注がれる。「監視の目を自分自身の心の中にある不純なもの、その不純なものにこそ目を光らしてほしい」と著者も主張するが、監視の目を向ける人たちは社会的に自立しておらず、それ故に自律できていないのである。
 「死体に取りすがって泣く機会」も奪われ、寡婦となって苦労を重ねることとなる元凶は「戦争」ではなく、「戦争を導いてしまう人間社会のシステム」である。
巫女のお告げで神様が出征することになり、列をなしてバンザイをして神様を戦場に送り、戦死して「名誉ある戦死者」の標札を玄関上部に打ち付け、国のためと戦死を美化するこのシステムは何に起因するのか、いまもって理解できない。
 この新書を読んでいて、「未亡人」「戦争未亡人」という言葉が何度も出てくる。この言葉にとても違和感がある。個の人間として見ずに括って枠の中に閉じ込めた見方をしていないだろうか。女性をある種の枠の中に閉じ込めていると感じてしまう。

 <白石一文 『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(講談社文庫、2011年初刊2009年)>:上下2巻の小説。引用が多く、その引用への思惟は広く展開し、癌を患ったカワバタの新たな出発への転換へと繋がる。この世の中は完成されたものであって、そこに生きる自分は何者だ、ということが著者のベースにあると捉えており、この小説での多くの思索もその揺るぎない信念の上に立っている。セックスも暴力も妻との関係も癌もその思考のための手段でしかない。根幹は考えること、この世界を見つめ自分の心を考えることにある。書名と同じ項のなかの文章を引用しておく。
 「この胸に深々と突き刺さる時間という長く鋭い矢、偽りの神の名が刻まれた矢をいまこそこの胸から引き抜かねばならない。その矢を抜くことで、僕たちは初めてこの胸に宿る真実の誇りを取り戻すことができるのだから・・・・・・」。

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