2019年3月1日金曜日

漢字(部首)、会津

 2冊の本を読む。クレジットカードのポイントが貯っているからと本4冊を発注。いつまで経っても未読の本がなかなか減らない。

 <阿辻哲次 『部首のはなし2』(中公新書、2006年)>:続けて読んだ本書は52の部首とそれにまつわるエッセイを載せている。面白い。文系の中に分類される漢字の文字学ではあるが、理屈から成り立つ漢字は理系の要素が詰っている。ある種の法則から成り立っているからこそ漢字は面白い。中学・高校時代にこの面白さに触れていたなら大学進学時に機械工学とは異なった進路を選んでいたのかもしれない。会社勤めのときに同僚に、文学部機械工学科出身と揶揄された自分の性癖がそのときから今も続いているようである。

 <鈴木荘一 『幕末会津藩 松平容保の慟哭』(勉誠出版、2018年)>:サブタイトルに「北方領土を守った男たちの最期」。利尻に行ったとき、ペジ岬展望台に会津藩士の墓三墓が建てられており、横にある説明書きには「水腫病」や「文化5年」、「高田村」や「駒坂村」の文があり、これらを見たときには遠き江戸期の北端で死ななければならなかった会津藩士に思いを馳せた。
 吉田松陰は好きでない。萩の松陰神社に立ち寄ったとき、そこにある「恕」を「いかり」と読んで松陰を賞賛するオバサンに苦笑したことがある。松陰が儒学・古学から始まって蘭学/洋楽や水戸学に触れるも結局は(当時の知識人たちとは違って)振り出しの儒学・古学に戻った要因が、松陰の知的貧困・理解力不足にあるとする本書は論理的である。
 松平春嶽も嫌いで、狡猾で臆病で卑怯であると思っている。本書で松陰や春嶽はボロクソに書かれており、西郷や松陰、春嶽ファンは本書と著者をけなすだけであろう。
 唐突に思い出した歌がある。つボイノリオの「吉田松陰物語」は次元の異なる傑作。
 近現代史で最も関心が深いのは1945年の敗戦前後であり、その戦争に至る過程を振り返ればどうしても幕末・明治維新をみなければいけない。それは現代にもつながることだが、明治維新になってこの国は方向性を過ち、戦争を導き、今も続いていると感じているからである。本書はそれを簡潔に述べている。
 サブタイトルの「北方領土を守った男たちの最期」とは、幕末期に北海道で命を絶った会津人を思うだけではなく、維新以降の政治が結局は北方領土を失ってしまったことを指し、現政府が返還に動いてもどうにもならずにいる今を、会津藩士から見れば「我々が守った北方領土は最期にはこんな状態になっているかの」と歎いていることを意味していると捉える。

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