2019年9月27日金曜日

クミコハウス

 テレビで「世界ナゼそこに日本人」を眺めていたら、ナレーションと同時にガンジス川ほとりの「久美子ハウス」の画像が映し出されていた。見た瞬間に20年ほど前に読んだ素樹文生『クミコハウス』を思い出した。メモを記したファイルを開いたら、その本を読んだのは1999年11月12日のことであった。著者の本を最初に読んだのは評価の高かった『上海の西、デリーの東』であり、そのせいもあるのか『クミコハウス』のサブタイトルは「「上海の西、デリーの東 外伝」であった。表紙には久美子さんと思われる写真が大きくあり、テレビで見る現在の久美子さんに結び付けるには少し困難を覚えた。が、やはり、当たり前だが、丸顔のつながりは感じた。
 著者の本はこの2冊だけしか読んでおらず、『上海の西、デリーの東』には次のような読後メモを記してある。
 ・・・「これは単なる旅行記ではなく、紀行文ではなく、著者の心象を旅するにあたり、上海の西からデリーの東の地域がでてくるに過ぎない。乱暴な言い方だがそういうことだ。従って、各地のローカリティを読むのではなく、一人の人間の私小説的な内容を読むことになる。そして、内面に向けられた感性には感心はするが、アジアという場面を離れてしまえば、その感性は描ききれないし、又、深みも薄らいでくるような気がする。しかし、率直で内面を見ている姿には共感を覚える。おそらく空想癖に近いものがあり、反抗的な態度もあり、よそ目には生意気とも受け取れる不遜な面も持ち合わせているであろう。こういう人間は好きである。多分親しくはなれないであろうが、俺には常に好ましく映る人間と思える。その悩みと旅をする勇気に敬服」。『クミコハウス』の読後メモには「表紙の女性が蠱惑的」としか記していないので、多分内容的には「上海の・・・・」と同じような感想であったのだろう。
 40代後半から50代に入る頃はアジアに関する旅行記を好んで読んでいた。その頃に読んでいた本を振り返ると、現在とは随分と異なるジャンルの本を手に取っていた。当時のメモを見るとついこの間のような思いを抱く。
 冒頭のテレビ番組では『クミコハウス』については何も触れられていない。素樹文生さんは現在どうしているのだろう、Amazonを見ると2003年の著作を最後に刊行された作品はないようである。

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