2019年9月28日土曜日

江戸破礼句の一端

 <蕣露庵主人 『江戸破礼句・梅の寳匣』(三樹書房、1996年)>:江戸の庶民は、ラジオもテレビもない夜、行灯の薄明かりのなかで(60wの1/50ほど明るさでしかない)、そしてその灯りとて安価な魚油からでは臭いにおいが籠る。毎日顔を合わす夫婦ともなればそうそう会話も弾まない。なれば、早々に眠りについてしまった。紐育の大停電で出産が増えたように、することが限られれば自ずと身近なところに手を伸ばすことになる。暇つぶしと快楽は常に身近にある。(・・・ここまでは本書以外を参考)。「人間は夫婦の性に現実を過ごし、淫蕩な性は観念の中で処理する」ことであって、ある種の文化はそこに生まれる。

 本書から幾つかの(好みの)川柳を抜粋してみる。

 富士山山頂の浅間神社の主祭神は木花之佐久夜毘売命、通称さくや姫、裾野は広大で、裾野の各所には江戸期より観光名所であった「風穴」「氷穴」「人穴」がある。この現実を川柳にうたった。
   さくや姫裾を廣げて穴を見せ

 鼈甲細工は簪・櫛・笄、そして張形にも及ぶ。そこで一句、
   鼈甲はいづれ毛の有る所へ差し

 浦島太郎の物語は著名だが、年老いた姿で描かれていない部分もあり、それを追補すると、
   浦嶋がへのこ即刻ちぢれ込み

 夫婦の歴史から人生への諦観を並べる。
   新(あら)世帯恥ずかしそうに紙を買い  ・・・ 始まりは新鮮
   女房と乗合にする宝船          ・・・ 姫はじめも共に味わい
   女房の味は可もなし不可も無し      ・・・ 繰り返せば倦きも出て来るし
   穴を出て穴へ入(いり)また穴の世話   ・・・ 思い起こせば人生は、、、
 無論、最後の穴は墓穴である。

 きりがないので、最後に一句、
   女の小便、徳川御三家
 徳川御三家の紀州・尾州・水戸であり、それを声に出すとキシュー・ビッシュー・ミトミトミトとなり、女の若い・年増・老女のなにに引っかけている。

 一冊まるごと上記のような破礼句が掲載されており、その情景を想像すると実に楽しめる。世の中の政や賢しらなことを笑い飛ばしてしまうことに快感を覚える。
 結びとして、一句。見れば白く、触れば冷たい昔のひとときを思い出すかも。
   地黄飲む側に大根美しい

 本書はどこかの駅構内で催された古書展で衝動買いしたもの。蕣露庵主人は近世庶民文化の研究者として著名な渡辺信一郎の別名である。

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