2025年5月29日木曜日

ゴリラのひとくち、ウスラウメ改めユスラウメ、言葉の違和感

 ゴリラの一口、重さが2kgで容量は135cc。350ccのビールも3回に分けて飲むことになり、飲む度にその重さを腕に感じる。節酒と筋トレに効き目があるのかもしれない。最近もっとも愛用しているジョッキである。

 十数年前から毎年実を付けるユスラウメ、沢山なったので1.3kgほどを摘んで今年は2年ぶりにユスラウメ酒とした。1週間経って綺麗なピンク色となった。
 2年ほど前に作ったものは実を取り出してから随分と暗所に放っておいたが、ここ数日は炭酸で割りながらちびちびと口にしている。甘酸っぱさが初夏を想わせる。
 ところで、ユスラウメは長い間その名をウスラウメと覚えていた。ユとウの間違いからそう思っていたのであろう。ユスラとは木を揺することからユスラウメになったのではないかとの説があるそうだが、そのユスラよりはウスラバカのウスラの方が馴染みがあるし、梅になれない小さなウスラバカの梅としていたのかもと思っていた。今となれば恥ずかしい。
 摘んでから1週間経ったらまた実を付けてきた。


 「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」の中の「骨太の方針」という言葉使いに強い違和感を覚える。バッターボックスに立つ実績のない新人に強打者、映画の封切り前に名作と呼称しているような、それらと同様な気がしてならない。事件が起きたときにテレビのニュースで「慎重な捜査を進めている」という説明にも皮肉っぽい感情を抱き、それは捜査って慎重に行うのが基本ではないのかと思うのである。サラリーマン時代に、「一生懸命にやったんです」と最初に言い訳の言葉を発する同僚/部下にも「仕事を一生懸命やるのは基本だろう」と突っ込みを入れたくなっていた(入れていた)。

2025年5月26日月曜日

マンガ、渡辺京二、永井義男

 <佐野菜見 『佐野菜見作品集』(HARTA COMIX、2024年)>:書店でたまたま目について衝動買い。作者に関する知識は皆無で、『ミギとダリ』や『坂本ですが』も本書を手に取って初めて知った。女性漫画家が描く絵柄には相変わらずに馴染めない。描かれる背景は繊細で魅せられるが人物が登場すると途端に違和感を覚え、書店の棚に並べられているBLマンガの表紙を思ってしまう。作品集なので短編が編まれており、寄せ集めの風がある。この作品集は前記2作品のファンが懐かしさを込めて読むのであろう。

 <渡辺京二 『小さきものの近代Ⅰ』(弦書房、2022年)>:「小さきもの」とは「上から日本近代国家を創った人物たちではなく、その創られた「近代」に適応してゆかざるをえない者たちのことを形容」している。
 第一章「緊急避難」では漱石の維新に対するスタンスを、また池辺三山のそれを概説する。「維新が開いた近代国民国家建設の過程が、いつゴールにたどりついたかと言えば、結局は1945年の敗戦だったというのが」渡辺京二考えであり、共感している。それは皮肉っぽく別の表現で言えば、維新や明治が帰着したのがその敗戦だったというのが自分の思いである。緊急避難として形成された維新に、当時の知識人たちの冷めた見方を紹介し、論じ、章末に長谷川如是閑の言う「「ぼうふら」扱いされて来た名もなき人びとの希求と努力」による「中味の歴史」を書くことを試みたいとし、第二章以下に続く。
 第二章は「徳川社会」。打倒された徳川国家を述べる。以降、「自覚の底流」では「小さきものたち」の自覚を例えば一揆を記述し、「開国と攘夷」では水戸学をある意味罵倒し尊攘派志士たちの空論を論じ、イデオローグとしての吉田松陰には「思想家として納得の行かぬ」ことを記し、吉田松陰嫌いの自分にはここも我が意を得たりと感じる。高杉晋作に対する批判にも同感の思いを抱く。積み重ねた自分の思いが精確に代弁されていると思いである。
 以降「異国体験」(万次郎や彦太郎、薩摩藩の留学生たちを描く)、「幕臣たち」、「敗者たち」(主に会津藩に生きて辛酸を嘗めたひとたち)、「女のちから」(著名人たちの母など)、「黙阿弥と円朝」と続くが、次第にエピソード集のように思えて読むのが雑になった。
 渡辺京二は2022年92歳で亡くなってしまった。2007年に『逝きし世の面影』を読み、それ以降18年間にわたって読み続けた冊数は本書を最後に36となった。会社勤めの時は昼休みに自席で食事を摂りながら読んでいた。あのときも今もどれだけ理解できたのか心許ないが、自分の思いを整理してみたり、考え方、世の中の捉え方などに尠くとも影響を受けたことは間違いない。

 <永井義男 『秘剣の名医 十八』(コスミック・時代文庫)>(コスミック・時代文庫、2025年):書名は「秘剣の名医」であるが、「秘剣」で活躍するシーンは出てこない。メインスト-リーは枕絵の「開の生き写し」を巡る謎ときであり、その間に別の殺人があり、そこでは新たに登場する犬ホントが目立たずに活躍する。

 <永井義雄・はしもとみつお 『不便ですてきな江戸の町 ③』(リイド社、2025年)>:国さんと、お腹が大きくなったおようさんは江戸から東京に移り、朝、おようさんは子どもを抱えて国さんに「行ってらっしゃ~い」と声をかける。了。

2025年5月2日金曜日

ワクチン接種、興味のない本2冊

 暖かくなったり肌寒くなったり、ガスストーブをまだ片づけられない。

 敷地内の電柱を囲んでいるつるバラが白い花をつけた。毎年咲くことがないのは、伸びた枝を切り落とす程度で手入れを殆どしていないからであろうか。植えてから20年ほど経っているのによく育っているものである。
  


 帯状疱疹ワクチンを接種した。ワクチンの種類はシングリックスで今日はその1回目。2回目は2ヶ月後。連れ合いとの合計費用は88,000円と高価。市役所への補助金交付申請は先月に済ませており、合わせて8,000円の助成額申請は2回目の接種を終えて書類申請となる。

 <地球の歩き方編集室 『地球の歩き方 ムーJAPAN ~神秘の国の歩き方~』(GAKKEN、2024年)>:「ムーの世界」や「神秘の日本」にも興味はないが、それらがどのように説明されているのかに興味があって流し読みした。頭に浮かんだのは日ユ同祖論であり、大野晋の「日本語起源=タミル語」や神社/神道など。そして唐突に”To answer the question, we need to ask another question, What is I ?”。
 酒でも飲み交わしているときに雑学知識として披露すると楽しめるかも。

 <たつき諒 『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社、2021年)>:異世界に生きている現実の人間については全く興味を抱かない。簡潔に言えばつまらない漫画を見てしまった。もうちょっと深みのある予知夢について書かれているのかと思ったが…。
 どこかで田坂広志『死は存在しない』に概説されている”Zero Point Field”に繋がる描写を期待していたが全くの別物であった。

2025年4月23日水曜日

桜の鶴ヶ城、日本語の本とミステリー

 高校1年の時からの友人が数日前に写真を送信してくれた。鶴ヶ城を後背にして桜が美しく咲いている。どちらの写真も中央に鶴ヶ城が写っており、16歳の春、奥会津から会津高校に入学し、少し心を弾ませて城内を歩いた春の日を思い出す。 

 先日、BSにて会津若松を舞台とした1962年の映画「春の山脈」(鰐淵晴子・十朱幸代が出演)を観た。63~64年前の市内や東山温泉の情景が流れ、二つの写真と相俟って中学から高校にかけての自分の姿がモノクロになって脳裏に浮かんできた。
 
 <飛田良文 『明治生まれの日本語 (4版)』(2024年、角川ソフィア文庫)>:言葉は活きている。明治になって新しい概念が輸入され、新たなる日本語が考え出された。その新たな言葉がいつどのように作られたのか解かれる。それはそれで楽しめるのであるが、不満も残る。それは人々が実生活の中でどのように語られ、或いは書かれたのか、端的に言えば実生活での乾きや湿り気のような空気を感じ取ることが出来ないからであろう。「電信」が広まってきた頃、事実なのか否かはさておき、風呂敷包みを電線にぶら下げて送ろうとしたという逸話があった。こういうことにこそ「電信」の言葉が活きてくる気がする。また、例えば「哲学」という言葉について言えば、西周がこの訳語を生み出すまでに至った経緯や思考などを知りたいと思う。

 <古処誠二 『いくさの底』(角川文庫、2023年/初刊2017年)>:日本軍がビルマに進展していた頃―多分1943年頃、ビルマ北部の小村において警備隊を将いる賀川少尉が着任直後に殺される。日本軍・重慶軍・村のリーダーと人々たちが構成する村で賀川少尉を誰が何故殺したのか探索が始まる。そして続いて村長も惨殺される。
 頁を開くと最初に書かれている文章は「そうです。賀川少尉を殺したのはわたしです。(中略)二度と訪れない好機が巡ってきて、それでも行動を起こさずにいられるものでしょうか」。「わたし」とは誰で、「好機」とは何を意味するのか。「行動」を起こす動機は何なのか、最後にはすべて明かされる。戦場における「わたし」の置かれた状況、重慶軍と日本軍の傘の下で生活しなければいけない村の状況、殺人の背景、これらの全てが戦という鍋の深みにある「いくさの底」である。そして事件解明後の展開もまた「いくさの底」からの新たな展開を生じさせている。
 特異な状況下における卓れたミステリーを楽しめた。

2025年4月17日木曜日

雑記、雑読

 友人に十朱幸代が歌う2曲-「セイタカアワダチ草」「風の盆」-を送ったら、スコアを作成してくれた。彼の耳コピ能力は凄いと思うし、有り難い。ボーカルをカットしたファイルも作りこれも彼に送った。MuseScoreを活用して自分のEWI演奏スタイルに合わせて移調し、そのうちに練習することとなる。
 現在もある海外のマイナーな曲をカラオケに重ねるべく練習はしているが、もとより演奏技術は劣るので遅々として満足のいくものにはならない。一方では演奏しようとする楽譜を暇にまかせて作っているので、楽譜は増えるが演奏する録音ファイルはなかなか増えない。
 友人の作ってくれた楽譜で課題練習曲はまたもや増えた。

 <古町・魚豊 『Dr.マッスルビート 1』(秋田書店、2025年)>:魚豊の名を見てこのマンガを購入したが、表紙を見て”違う”と感じ、奥付を確認したら魚豊は「1巻原案」とあった。読んでみた1巻はマッチョ入れ込みの青年が昆虫にのめり込むプロローグといったところ。取敢えず(とは好きな言葉ではないが)数ヶ月後になるであろう次巻にも眼を通してみよう。続けて読むか否かは次巻次第である。

 <神長正博 『ウソを見破る統計学 退屈させない統計入門』(講談社ブルーバックス、2011年)>:高校のとき「確率と統計」は好きじゃなかった、不得意だった。特に統計学独自の数学記号には馴染めなかった。そういう背景もあろう、もっと卑近なエピソード的事例を期待したのだが、外れた。でも、一度は頭に入っていた統計用語が記憶の底から浮かび上がって面白かった。

 <堀越英美 『エモい古語辞典』(朝日出版社、2022年)>:数時間かけて全体に目を通す。無論1%も頭に中に残りはしないので、興味ある言葉の載っている頁には付箋を貼っておく。言葉の豊かさに浸って心地よい。しかしながらコケティッシュな表紙や挿絵を見れば、上品な色恋の情景を浮かばせる言葉の解説が欲しい。

 <豊永浩平 『月ぬ走いや、馬ぬ走い』(講談社、2024年)>:恰も凝縮された前衛音楽が時代や人間社会を超速で表現しているような、圧倒的なスピードで戦中から戦後を駆け抜けた感じがした。また、別の表現をすれば、底の見えない井戸を覗くように深淵を探るような鋭角な視線を感じた。
 21歳の作者が、言葉を爆けさせて駆使してこのような小説で歴史を表現すことにすることに驚きがあり、2作目はどのように描いていくのだろうと興味がある。新しい世代の新しい文学と言っていいのだろう。正直に言えば、刺激的だが少し疲れて途中で倦きも出てきた。

2025年4月3日木曜日

4月、雑読

 もう4月、今年も4分の1が過ぎ去った。4月に入って親しい友人たち2人と一緒に3人で76歳を迎えることになる。知り合ったのは高校入学時に同じクラスになったことで60年前のことだった。そして娘の長女は高校生になって大宮に通うことになる。彼女の年齢に自分を重ねては斑状に昔を思い出す。

 <山本弘 『ニセ科学を10倍楽しむ本』(ちくま文庫、2015年/初刊2010年加筆)>:楽しめた。そして何故にこうもバカが多いのかと呆れもする。

 <白石一文 『Timer 世界の秘密と光の見つけ方』(毎日新聞出版、2024年)>:Timerは89歳までの健康長寿を保証された装置で、89歳のカヤコはそれを装着している。一方、7歳年下のカズマサは付けていない。生きるとは何か、この世界とは何か、思索することに満ち溢れた一冊。白石さんの小説にはいつも魅了され、この本にも、想像力と深い思索と物語の構成・展開にすごさを感じる。
 終わりにある次の言葉が鋭くて深い。すなわち、「いまこうして、あなたたちがいるのは、同じゴンドラの乗り手が重なり合っているからに過ぎない。すべてはあなたのイメージであり情報なのだ」とはTimerを発明したサカモ博士の言葉。そして、「あなた自身が世界なのだ。この世界は、あなた自身がすべてを作り出したものなのだ」。

2025年3月20日木曜日

Spring is Nearly Here

 3月も後半に入り、桜のニュースも見聞きするようになったこの季節、50年以上も前のShadows-Spring is Nearly Hereが流れてくるような心地になる。

 高校入試が終わり、4月から高校生となるCチャンが立寄り、長い髪の溌溂とした15歳の彼女が大人になってきたとつくづく感じる。彼女がすぐ近くにある家に帰るときは必ず送っていくのは15年近くも続けている習慣であり、話しながらの短い時間は楽しい。

 <窪田新之助 『対馬の海に沈む』(集英社、2024年)>:対馬におけるJA共済22億円の横領が発覚し、「神様」と呼ばれた一人の職員が車で海に沈んだ。共済を装って不正融資で得た金を得たのは西山だけなのか、丹念な調査と取材を通じてJAの構造的問題、地域組合員との狎れ合いを露にしていく。人間個人の愚かさというか滑稽さ、腐る組織の典型例、個人へ転嫁する狡さ、等々。
 この本の読み方には二つの側面がある。一つは先に書いた人間と組織の有り様、もう一つは著者の真相に迫るアプローチである。どちらの立場でも途中で頁を閉じるのを躊躇うほどに楽しめた。

 <周防柳 『小説で読みとく古代史』(NHK出版新書、2023年)>:サブタイトルには「神武東遷、大悪の王、最後の女帝まで」。古代天皇史を概観し、その時代を描く小説が紹介される。全くつまらない一冊であった。史実を題材にした小説はその作品の著者の解釈(あるいは思い入れ)に基づく創作であり、それを承知の上で楽しむのはそれで良しとし、自分も時にはその視座で楽しみもする。しかし、歴史学者の論ずるテキストを開き、そこから湧き出る関心を小説に向けるというプロセスなしに、単に羅列される小説の紹介を読んでもつまらないの一言に尽きる。逆に、『天皇の歴史』(講談社)やその他の歴史書を再読しようかなという気持ちが出た-時間的に無理だが。

2025年3月13日木曜日

雑読

 <石井千湖 『積ん読の本』(主婦と生活社、2024年)>:本書に登場する「積ん読」人たちの書斎あるいは家中に積まれた本の写真に圧倒される。購入した本は基本的に読むべきであるとする自分は、まだ読んでいない本が目に入る度にある種の罪悪感に苛まれる。積ん読の程度に雲泥の差があるけれど、その積ん読人たちの言葉に少しホットする。
 以下、そのホットする言葉を幾つか引用しておく。
 「好書家は如何に速読家でも或る程度に於てのツンドク先生たらざるを得ないだろう。だが、ツンドクの趣味を理解しないものは愛書家で無いのは勿論真の読書家でも亦無いのを信じて、私は常にツンドク先生に敬意を表しておる。(内田魯庵「多忙なる読書と批評の困難」)」。「作家の奥泉光さんが、背表紙を読んだだけで本は読んでいることになる、そして読み終わることはないと言っていました」。「本は知識のインデックス積まなくてどうする」。「本は<冊>という単位で考えるべきではない。本は物質的に完結したような顔をしているけれども、あらゆるページと、瞬時のうちに連結してはまた離れるということを繰り返しています。一冊の本を読んでいるつもりでも、読んでいるときの頭のなかには、いろんな本のページやパラグラフが読み込まれている。本は常に進行中・生成中のヴァージョンだから、表紙から裏表紙まで読んでも読み終わることはない。何が書いてあったかを忘れてしまうのもあたりまえです」。そして次の言葉は読書することの本質をついていると思う。すなわち「過去と現在と未来、三人の自分と協力プレイして一冊の本を読んでいるんですね」と。
 本書に登場する人たちと、少ない読書量の自分を横に並べることは不遜でしかないことは自覚している。

 <青山透子 『日航123便 墜落の波紋 そして法廷へ』(河出文庫、2025年/初刊2019年)>:著者は「日航123便墜落事件」に関して8冊を著しており、その中で最初に読んだのは『日航123便墜落 遺物は真相を語る』。今回はそれに続いての2冊目。最近読んだ森永卓郎さんの『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』も含めるとこの事件の本は3冊目となる。所謂権力側の見解や調査報告は読んでいないけれど、出典や論拠を明らかにするこれら3冊の本は全面的に信頼している。そして、今後とも事件の真相調査はなされることはなく、隠され続け、関係者は沈黙し、ただただ忘却されることになるであろう。

 <八木澤高明 『忘れられた日本史の現場を歩く』(辰巳出版、2024年)>:飢饉で故郷を離れる、開墾する、国策で満州に渡るが敗戦によって土地を失い引き揚げて「新しい地に入植、原発事故、地震、津波、洪水・・・・消されてしまう人々の生活。すべてが歴史の中に埋もれている。
 著者が「好んで歩いてきたのは・・・(中略)・・・どちらかというと、由緒正しきものではなく、悲劇や血に彩られた悲しい歴史で」あり、本書に描かれたは下記の19過所。
 独自の呪術信仰”いざなぎ流”-拝み屋が暮らす集落/ハンデミックの悲劇-面谷村/インドから帰ってきた女性-からゆきさんがいた村/蝦夷に流れ着いだ和人たちの城-志海苔館/かつて栄えた風待ちの港-大崎下島/『遠野物語』に記された”アンデラ野”-姥捨山/海外への出稼ぎ者が多かった土地-北米大陸と繋がっていた村/本州にあったアイヌの集落-夏泊半島/朝廷に屈しなかった蝦夷の英雄-人首丸の墓/国家に背を向けた人々の”聖域”-無戸籍者たちの谷/飢饉に襲われた弘前の地-菅江真澄が通った村/800年前から続く伝説-平家の落人集落と殺人事件/潜伏キリシタンが建てた教会-中通島/飢饉で全滅した三つの村-秋山郷/難破船と”波切騒動”-大王崎/本土決戦における重要拠点-館山湾/古より遊女が集まる場所-青墓宿/江戸時代の大阪にあった墓地群-大阪七墓/自由に立ち入れない場所-津島村。
 大崎下島、夏泊半島、秋山郷には観光で行ったことがある。大崎下島だけは本書にある写真を思い出してかの地の歴史を感じたが、他は全く無縁で単に行ったことがあるとするだけである。
 全体的には著者の感想を中心とした、重みを感じることのない一冊である。風景の中に著者の心象を反映しているだけで、「忘れられたこと」の深層にあまり向き合っていない。

2025年3月12日水曜日

自民党の水脈(?)

 1955年(昭和30年)に自民党は立党し、「党の性格」には「個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する」とある。また平成22年(2010年) の自民党綱領には「自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい」とある。なるほど、それでかの人権侵犯を認定された人を参議院比例区出馬への認定をしたこととどう整合性を論じられるのだろうか。
 首相は「公認の評価は最終的に選挙において有権者に判断いただくべきことがらだ」と述べている。そうではなくて選挙という舞台にあげることの認識が問われていることに応えていない。立党から現在まで、自民党の地下にはどのような「水脈」が流れているのだろうか。
 自民党の「立党宣言・綱領」記載の年号には西暦(和暦)と和暦(西暦)の両方を使用している。統一していないことに何か意味はあるのだろうか。
 民主主義は「second-worst」であると主張していた今は亡き友人のことが思い出される。

2025年3月8日土曜日

Cチャンの公立高校合格

 愛する娘(Mチャン)のその娘、溺愛するCチャンの私立高校合格から1ヶ月以上が過ぎ、今日(3/6)は第1志望の公立高校入試合格発表。Web発表開始時刻直後にMチャンからLINEが入り、合格を直感し、メールを見ると「あなたは、全日制普通科の入学許可候補者となりました」の画像があった。
 Cチャンは受験当日にMチャンとともに我が家に立ち寄り、「合格ラインに届かなかったかも」と言っていた。内申の点数は良いので何とか受かるのではないかと思っていたし、連れ合いは「受かるよ」と言い切っていた。
 倍率が年々高くなっている高校で今年も1.5倍近くになっており、理数科は県内トップの倍率で、そこを落ちた人は普通科に流れてくるだろうとの不安があり、Cチャンは他の高校、といっても偏差値は同程度で入学定員数が多いからそっちに変えようかと受験前には少し悩んでいた。母親であるMチャンも変えない方がいいと思っていた。が、その気持ちの納得を得るために我が家に相談しに来たとき、連れ合いと二人で変えない方がいいとアドバイスしていた。結局は最初の予定通りの高校を受験した。
 合格の連絡をもらってからすぐにLINEを通してCチャン・Mチャン・連れ合いと4人で話をして喜びを分かち合った。嬉しくて仕様がない。60歳差の女の子が春からはJKとなる。卒業祝・私立高校合格祝・公立高校合格祝・入学祝、それに試験前に右手人差し指を小さく骨折していたのでそのうちに完治するであろうお祝い・・・と沢山のお祝いをしてあげよう。本人にもそう言ってあるので、Cチャンにはこれから何を頂戴しようかと大いに悩んでほしい。

2025年2月27日木曜日

まとまりのない読書

 最近は以前にも増して国内外政治関連のニュースを見るのが嫌(厭)になる。まして朝に流れていたのと同じ映像が繰り返し流れるとほぼ確実にオフにする。なぜなら、腹が立つやら苛立ちを覚えてしまうから。なぜにこうも人間は愚かなのであろう、否、愚かなことに自覚できない政治屋が多いのであろうか。

 <永井義男 『隠密裏同心 篠田虎之助 最強の虎 五』(コスミック時代文庫、2024年)>:ニ部構成で物語が二つ。何も考えずにただただ小説の中でゆったりした時間を過ごせる。

 <澤宮優・平野理恵子 『イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑』(角川ソフィア文庫、2021年/初刊2016年加筆修正)>:後期高齢者の我が身にとってはこの本に描かれていることはほぼ全てを見聞きしている。懐かしくもあり、過ぎた年月を尚更に重く感じてしまう。思い出すのは、大学に入学した時に上野公園の近くの道路沿いに白衣の傷痍軍人が金銭を求めて数人いたことで、戦後23年ほども経つのにこういう状態がまだあることに驚いた。高校の修学旅行先では自転車の荷台でアイスキャンデーを売っていたし、小学生の時には奥会津でポン菓子製造機が子供たちを集めていたし、苦学生(の空気を漂わせた)学生服の男性が鉱山社宅を回って鉛筆を売り歩いていた。
 昭和になって今年で100年が経った。戦後の団塊に生れ、学生運動がまだニュースとなっていた高校・大学時代前期、結婚して子供が誕生し・・・・思い出せばきりがない。

 <寺田浩晃・筒井康隆 『残像に口紅を』(KADOKAWA、2025年)>:筒井康隆の作品を漫画にしたものであり、原作は読んでいない。残像は虚構で口紅は現実なのか。現実は何かに支配されていて実は虚構の中で生かされており、その虚構を鳥瞰して楽しもうとするのが現実なのか。

 <加藤文元監修 『知識ゼロでも楽しく読める! 数学のしくみ』(西東社、2024円)>:帯には「文系でも、初学者でも、学び直しでも、これならわかる」とある。大学の工学部を卒業し、サラリーマンとなってからも定年退職まで機械の開発設計に携っていた。だから一応は理系人間という矜恃(自惚かも)はあるし、数式にも数学用語にも抵抗感はない。しかし、図形の基本的定理ももうほんの少ししか覚えていないし、二次方程式解の公式すらおぼろげでしかなく、立体体積の算出式すら覚えていない。本書を手に取った意味は、かつて身を置いた理系的環境の中に身を入れて楽しんでいるに過ぎない。
 大学時に使用した材料力学のテキストを最初から最後までトレースしてみようと思うのだが、なかなか時間を割けないでいる。

2025年2月22日土曜日

本の買取依頼、辞書と時代小説

 昨年9月以来、5ヶ月ぶりに本を買い取ってもらった。前回は72点、今回は46点。この5ヶ月の間に読んだものばかりではなく、積ん読になっていて興味がなくなった本や、何気なくとっておいた本も含めての点数であり、少しずつ部屋の中の本を少なくしようと努めてはいる。が、新たに買ってしまう本もあり、閉じられたまま読んでいない本はなかなか減らない。

 <永井義男 『吉原同心 富永甚四郎』(角川文庫、2024年)>:兄を病で亡くした甚四郎は目指していた蘭方医を諦め、急遽同心を継ぐことになった。兄と結婚する予定だったお八重を妻とし、勤め先として通うのは吉原の面番所。
 吉原、同心、蘭方医と著者の他の小説の流れにある新しいシリーズ。だからどこか既視感のある物語であるが本書は新たな舞台で楽しめる。戯作好きのお八重のキャラクター描写が今後面白そうである。

 <永田守弘編 『官能小説用語表現辞典』(ちくま文庫、2006年/初刊2002年加筆訂正)>:斜め読み。性行為はパターン化されている(もしかした知らない行為があるかもしれないが)。その決まり切った行為であるからこそかもしれないが、官能小説家の想像力、妄想力はとてつもなく広がり、その言語感覚には敬服する。しかし、参考としている官能小説の書名を見るとそれだけでストーリーのイマジネーションは頭の中で広がり、そして、オノマトペに記される擬態語・擬声語には思わず笑ってしまう。

2025年2月17日月曜日

サブモニター不具合、早稲田ラグビー新体制、本2冊

 1Fで使用しているPCのサブモニターの不調が続いていた。画面下部がちらつく、時には全画面に激しいノイズが入っているかのようにちらつく。HDMIコネクターを少し動かしたりすると直る場合があるが長続きしない。HDMI端子部のぐらつきかと捉え、廃棄覚悟でモニターをバラして基板上の端子部を半田付けしようと考えた。モニター前面に接着されているフレームをこじって取り外し、基板を露出して取り外してもHDMI端子部にぐらつきはない。何をしてよいのか分からず、該端子部に取敢えずハンダを盛って組立て直した。以降、不具合は皆無となった。直った理由は二つしか考えられない。一つは盛ハンダで導通が良くなったヵ。二つ目はバラしたことで蓄積していた静電気が除去できたヵ。何となくであるが後者が効いたのではないかと想像するがどうであろうか。以降、数日経過するも異常は生じていない。

 早稲田ラグビーの新体制が決まった。CTB野中が新主将で、田中勇成が副将。監督は大田尾が5年目に入った。新3年生では清水健伸、松沼、矢崎が委員となった。松沼は今季の活躍がまったくなかったので来季に期待。

 <児島青 『本なら売るほど(1)』(KADOKAWA、2025年)>:漫画。土曜日に必ず読む朝日新聞の書評で本作が紹介されており、ヨドバシカメラでは在庫がなくて取り寄せになっていた。
 街の小さな古本屋「十月堂」を舞台にした6話の物語。本を中心に描かれるこの世界はとても好きである。「ビブリア古書堂」シリーズ以来の古書店シリーズであり嵌まりそうである。続刊が待ち遠しい。
 6話の中で一番好きな物語は第3話「アヴェ・マリア」。高校生牟礼マリさんと主人公の元カノのマリさんが登場し、森茉莉が語られ、高校生マリさんを見て元カノマリさんが、「夢から醒めた女の横顔は美しいわ」と呟くシーンが素敵。
 書名の『本なら売るほど』で昔のあることを思いだした。それは書籍関連の企業に勤務している高校同学年の友人が、『大辞林』をプレゼントしてくれた。恐縮して連絡をすると返事は「本なら売るほどある」というものだった。20年以上も前のことである。

 <高野秀行 『酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する』(本の雑誌社、2025年)>:エチオピア南部アルバミンチよりケニア側に下ったデラシャに一画にある「酒を主食とする人々」がいる。そこを訪れたクルーとノーギャラで「裸の王様」である著者の紀行であり、楽しめる。老若男女は勿論、、幼児も妊婦も入院患者も朝から晩まで酒を飲む。度数は5%から下。水が貴重品であり、それも酒を飲むことになっている理由の一つとなっているのだろう、とにかく四六時中飲む。
 高野さんのルポは楽しい。活写している現地の人たちのキャラクターが面白く、世の中は広いことに改めて認識が深められる。賢くて気配りを欠かさない女性アルバズに対し、著者の帰国後のフォローが優しく、著者の温かさ伝わってくる。

2025年2月11日火曜日

大雪の報道、文庫本

 北海道や日本海側の大雪が連日報道されている。会津若松や富山空港の積雪情報が映像とともに毎日のようにテレビ画面に流れ、時には福島県金山町の情報も出てくる。何れも過去に居住していたところである。
 金山町は小中学生時代に住んでおりその豪雪には驚きもしない。鉱山社宅のなかの雪道は2階の床と同じ高さだったし、玄関の前は雪の階段だった。
 会津若松では高校3年間の冬を過ごしており、当時、雪に困惑した記憶はない。富山市では冬になって積雪量が増えると車を運転することもなく、会社の社宅の駐車場に車を駐めっぱなしにしており、積もった雪の中をかき分けてドアを開け、時折エンジンだけをかけていたことを思い出す。屋根に雪が積もり、車は雪の中に埋もれていた。昭和52年頃だった。積雪を経験したことのない連れ合いは富山というと雪を思い出し、2度と住みたくないと今も言う。

 <千野隆司 『鉞ばばあと孫娘貸金始末 まがいもの』(集英社文庫、2024年)>
 <千野隆司 『鉞ばばあと孫娘貸金始末 十両役者』(集英社文庫、2025年)>:それぞれ短編3編の時代ライトノベル。鉞ばばあのお絹、孫のお鈴、お絹の弟で岡っ引きの倉蔵、気弱な職人見習いの豆次郎が全編にわたる登場人物であるが、彼ら彼女らのキャラクターが頭の中で築けない。例えば永井義男さんの小説では登場人物の姿や振る舞いが脳裏に浮かんでくるのであるが、千野さんのこの小説ではそれが浮かんでこない。何故だろうと思うが、多分に登場人物のティピカルな設定は描かれているのであるが、そこに重なる会話や仕種が表面的であり、さらにワンパターンなのでその人たちの内面が浮き出てこないのであろうと思う。安直な時代活劇といったところであり、このシリーズは無論、この作家の小説はもう読まない。

 <江馬修 『羊の怒る時 関東大震災の三日間』(ちくま文庫、2023年/初刊1925年)>:1923年(大正12)9月1日に関東大地震が発生し、作家の江馬修も代々木初台で罹災した。それからの3日間を私小説風に描写したドキュメンタリー。流言蜚語が人々の中に蔓延して朝鮮人狩りが横行し、本人も巻き込まれそうになる。
 100年前の集団ヒステリックな行動に昔の事件という感覚は覚えず、人間の本能とも言える不変的な愚かさを改めて認識させられる。SNS横行のデマや中傷がなく広まり、それに纏る自死や一連の現象、例えばトランプ大統領選における熱狂や連邦議会議事堂襲撃なども人間社会の根源的な本能-自然現象-のように思える。SNS発信者もどうかと思うけれど、それらを読んで同調する人々もどうかと思う。
 江馬修によるこの一冊は作者の冷静な思いが描写され、震災の状況が緻密に描かれ、優れたドキュメンタリーと思える。
 江馬修といえば『山の民』、そして『飛騨百姓騒動記』。解説の天児照月は、江馬修との生活を描いた『炎の燃えつきる時 江馬修の生涯』と『摩王の誘惑 江馬修とその周辺』。照月の弟慧は早稲田大学の名誉教授である。江馬修の作品、特に『山の民』には複雑な著作権の問題があるようだが、文庫化されてもっと広く読まれてもいいと思う小説である。大正期のベストセラーであり出世作『受難者』(1916年)を読みたくなる。

2025年1月25日土曜日

Cチャンの最初の高校受験、本2冊

 娘からLINEで写真が送られてきた。高校受験真っ盛りの彼女の娘(Cチャン)の入試合格が書かれていた。前日の入学試験の帰路、娘ともどもCチャンも我が家に立ち寄り、娘が埼玉の銘菓を持ってきてくれた。
 試験はどうだったと尋ねたら国語の古文が分からなかったと言っていた。滑り止めに私立高校を併願受験し、選択コースの中では一番上位のコースを受けていた。本命の公立高校の受験は1ヶ月後だが、まずは私立に合格し精神的にゆとりができるであろう。ネットで本命校と滑り止めの両校の入学偏差値を見たら、本命よりも滑り止めとしている高校の方が高い数値であり、あれっと思った次第。受験科目数の違いなどがあるのかもしれない。また、学校訪問時の校内雰囲気などを重視していたようである。
 CチャンにもLINEで「合格おめでとう㊗!」とメールしたら「ありがとう!!」と返ってきた。

 <吉田兼好 佐藤春夫訳 『現代語版 徒然草』(河出文庫、2004年)>:今更ながらの徒然草。良くも悪くも、人間の行動や思想の根っ子は少なくとも1300年代より変わることなく普遍である。
 箴言を一つ、「勝とうと思ってかかってはいけない。負けまいとして打つのがいい。どの手が一番早く負けるかということを考えて、その手を避けて、一目だけでもおそく負けるはずの手を用いよ」。先日のラグビー大学選手権での早稲田のちぐはぐな攻めを思い出した。

 <神永曉 『悩ましい国語辞典』(角川ソフィア文庫、2019年/初刊2015年)>:言葉は生き物で、年月を経て変化し、或は新たに生れ、中には衰退して消滅する。だからこそ面白い。いまでも時々ドラマなどで「とんでもございません」と台詞が発せられると誤用を指摘したくなる。そしてそのドラマを演じているときに誰もその間違いを正す人はいなかったのかと思ってしまう。
 会社勤めをしている時にミーティングを仕切るマネージャーが「取り付くひまもない」と言っていたので。「取り付く島もない」でしょうと指摘したらきょとんとしていたことを思い出す。また、富山市に就職したとき、「打擲する」が日常的に使われていて最初は意味が分からなかった。漢字難読の部類に入るこの言葉が普通に使用されており、他県出身者の先輩も同様に驚いていたことを思い出す。
 拾い読みしながら全頁に目を通した。全てを記憶することは無論できるはずもなく、読んでいるときの刹那的な楽しみを味わうしかできないのが口惜しい。ついつい『さらに悩ましい国語辞典』を購入した。

2025年1月16日木曜日

早稲田負ける、小説1冊

 ラグビー大学選手権、早稲田は帝京に完敗。後半風上に立った早稲田がPGで1点リードするも帝京にトライを決められて6点差に。ここまではまだ望みを棄てていなかったが。13点差に広がられた時点で負けると思った。後半の風上は早稲田に有利と思ったがスクラムで完全に負けており、バックスにボールを展開できない。帝京の力強さと上手い試合運びに比して早稲田には落ち着きのないプレーを感じ、実力差を感じた。後半にSO服部がキックをせずに自らが突破を図るも逆に相手に攻撃のチャンスを作った。これが早稲田の攻撃のチグハグさを示しているように感じた。兎にも角にもスクラムが弱すぎ。あと何だろう、対抗戦で早稲田に完敗してからの帝京は着実に強くなり、一方早稲田はあの試合からの前進が感じられない。FWD(スクラム)が弱ければ今のラグビーでは勝利を得ることはできない。

 <古処誠ニ 『敵前の森で』(双葉社、2023年)>:インパール作戦にて敗走・遅戦する日本軍。舞台はビルマ、主人公は戦闘経験のない輜重部隊の見習士官/北原。重用されたビルマ人少年の脱走、抗命の姿勢を見せる部下の兵長。兵長が脱走を差し金した理由と目的、その少年やインド兵が英国軍に与しないの何故なのか。戦犯容疑をかけられた北原の自問自答と英国軍語学将校への対応。今までに読んだ戦争小説とは趣を異にし、またミステリーの要素もある。英国軍に抗するビルマ人・インド兵、それぞれの人間心理の描写も際立っている。読み始めたときは戦中と戦後を行き来して少し戸惑いを覚えたが、読み進めに連れて引き込まれた。

2025年1月13日月曜日

辞書、漫画

 『東京人』2月号特集「辞書と遊ぶ!」が楽しめる。持っている辞書も少なくないなか、記事に惹かれて4冊の辞書・辞典を購入し(てしまっ)た。時間の合間合間に辞書を開くのは楽しめる。辞書・辞典・事典・字典・図鑑・ガイド等の類(外国語の辞書を除く)は100冊を優に超える。興味ある言葉を都度調べ確認する手段を、ネットや電子辞書ではなく、ハードを自室に陳べておくことは自分にとって好ましい環境である。理想は、図書館の書物が陳ぶ中央にオーディオリスニングを含む書斎のような空間とベッドを設けることであるが、実現できるわけもない妄想でしかない。

 <のぞゑのぶひさ、尾崎紅葉 『金色夜叉』(幻冬舎、2024年)>:貫一・お宮の熱海の像、そして物語の入口を知っているだけで全体のストーリーは知らなかった。気軽に読もうと思い『神聖喜劇』以来となる”のぞゑ”さんの漫画で読んだ。ただし、原作は未完であり、全16章の最後15・16章は”のぞゑ”さんのオリジナルである。
 貫一の執着心の強さとその裏返しの優柔不断さと高慢さ、逃避癖・責任転嫁が鼻につく。間貫一の名でどうしても間寛平の名と顔がチラリと脳裏に浮かぶのは年齢の所為なのであろう。

2025年1月10日金曜日

高校ラグビー、富山、新書一冊

 高校ラグビーは予想通り桐蔭学園が優勝した。東海仰星は完敗といっていいだろう。その点差の大きさは意外だった。桐蔭は大阪桐蔭戦で見せた後半の強さが際立っている(桐蔭と大阪桐蔭の試合を実質的決勝戦と思っていた)。
 ネットで確認する限り来季早稲田に入学する(予定)の選手は、小野(城東)・石原(桐蔭)・駒井(東海大仰星)・若林(同)・川端(同)・名取(大阪桐蔭)・馬場(同)・平山(大分東明)の8人。うち5人が高校代表候補で2人は主将、全員が今期の花園経験。これが事実とするならば(事実であろうが)8人の推薦・自己推薦入学者予定8人はここ数年では珍しい多さと記憶する。もちろん一浪・二浪を含む一般入試合格者の入部もあるだろうし、来季も早稲田ラグビーは楽しめるだろう。
 上記の選手たちを中心とした、今期の花園の試合を幾つか振り返ってオンデマンド観戦してみよう。

 世界的観光の魅力として選ばれたのが富山であることに驚いた。かつて20代の頃に6年半生活した富山市であるが、富山を離れてからの45年ほどの間には大きな変貌も遂げていて、富岩運河環水公園もLRTもガラス美術館も知らない。ただただその地に本社を構える会社に就職して結婚をし、連れ合いが二人目の子を宿していたときに会社を辞めて富山を離れ、その連れ合いは、富山というと辛かった思いのある豪雪を今でも真っ先に思い出すようである。

 <オフェル・シャガン 『わらう春画』(朝日新書、2014年)>:庶民の生活を楽しく笑って、社会や宗教などを嗤う。現代のポルノやAVは欲情を煽るだけでつまらないーポルノは元々”売春”を表す言葉であったらしい。
 ペニスを異常に大きく描く意味は、サイズを比較する心理を端からなくし、また小さく描くと背景に埋もれてしまうからであるとする。実情に即して描くとどうしても要らぬ高慢心や劣等感を醸しだして現実世界から抜け出せなくなるだろう。異常な巨大さは現実から遊離して素直にわらえる世界を作り出すのである。最古の春画は平安期にあると確認されている。そこには男性の陽物を競っている姿が描かれている。性行為の基本は昔から変わらないし、娯楽も尠い日常にあってそれは大らかで生活を楽しむものであったに違いない。宗教的・政治的な権力者にとってはその権力を脅かす行為であったであろう。権力的束縛から解放される心情は、自由の謳歌と保守的なものへの抵抗があり、それを笑い、嗤うことで想いの広がりを春画にたくしたのではないかと思う。

2025年1月3日金曜日

ラグビー、箱根駅伝

 昨日(2日)は息子家族と娘の家族全員が集まり楽しい時間を過ごした。昼前からほぼ一日中酔っていた。したがって箱根駅伝もラグビー準決勝も夜から深夜にかけての録画観戦。無論それまでは何の情報も入らないようにしていた。

 箱根駅伝、青学は強い。往路、早稲田は予想より上の3位で5区山登りの区間2位が素晴らしかった。復路では最終10区で國學院に抜かれて総合4位。10区間中5区で区間賞、そのうち2区が区間新。区間賞でなくとも区間新を出した選手がいたし、ほかの5区間でも大きく崩れることはない安定した走りなのでこれでは青学以外の大学が勝てるはずもない。多分、早稲田も含めて青学は選手層が厚いのだろう。原監督の奥さんが胴上げされていた。

 ラグビー大学選手権。早稲田は昨年大敗した京産大相手に31(5T3G)-19(3T2G)と勝ち、決勝は早稲田vs帝京となった。まだNHK録画しか見ていないが、スクラムでの攻防や反則などの山村亮さんの解説が分かりやすかった。FL田中勇成を賞賛していた。そう、FLがいい働きをするときはそのチームは強い。かつての羽生や松本、金正奎を思い出す。天理大が優勝した時の主将もFLで素晴らしい働きをしていた。

 高校ラグビー、3回戦の勝敗予想は6/8の的中率だった。石見智翠館(vs東海大静岡翔洋)と国学院栃木(vs京都工学院)の勝利を外した。準決勝は3/4。東福岡vs東海大仰星は迷ったが、東福岡と桐蔭の決勝を期待していた。仰星が1トライ差で勝利。大阪桐蔭と桐蔭の試合では桐蔭の上手さ、力強さを感じた。決勝は東海大仰星vs桐蔭で桐蔭が優勝するであろうと想うがどうなるであろう。

 下の写真は庭に咲いている花。



2024年の数値データ等

 2024年に読んだ本は75冊。前年より9冊減少。最も目を通した年(2010年)の約二分の一。マンガや軽い本を読まなくなったのが大きいか。それに読書以外に時間を割くことが多くなったのがその理由である。

 一年間で歩いた歩数は724,161歩と一日当たり2,000歩にも満たない。理由は読書量減少とほぼ同じで時間を割けなくなったことが大きい。歩幅0.8mとして歩行距離は約58km。自宅から直線距離で横浜あたりまでの距離。以前、ランニングをやっていたころは練習で月150kmも走っていたことからすれば雲泥の差である。

 この1年間で酒精を摂らなかった日数は170日、酒精20g以下の日を加えると190日。2016年11月中頃から節酒を開始してから酒精20g以上飲んだ率は44.4%。しかし、飲んでも一日の飲酒量は加齢と供にかなり損ってきており、日本酒4合瓶を一日で空けてしまう日は数日である。ましてウィスキーを1本空けることは皆無。若い頃、二日続けてボトル1本を空けたことがあった若い頃がある意味なつかしい。

 体重も血圧もコレステロールも留意すべき大きな変化はないが、病院関連で言えば、大腸ポリープを切除し、心臓のエコー検査、CTスキャンをやり、軽度の動脈狭窄があることが分かった。新型コロナにもインフルエンザにも罹患せず、体重計に乗れば身体年齢は10歳超下だし。まぁ健康なのであろう。

 EWIでの演奏録音曲数は59曲となった。如何せん上達したか否かは分からない、というより上達の自覚がないのが悲しい。古い曲ばかりだがポップスの楽譜はかなり増えた。

2025年1月1日水曜日

新年、高校ラグビー、江戸川乱歩賞の一冊

 2025年となった。馬齢を重ねる毎に、“門松や冥土の旅の一里塚”の重みが増してくる。

 高校ラグビー全国大会、2回戦の勝敗予想の的中は14/16。シード校の目黒学院が勝つと思ったがノーシードの報徳に弊れた。ノーシード校どうしの関商工が東海大静岡翔洋に勝ったのも外れた。
 1日のベスト16の的中率は6/8。ノーシードの京都工学院はシード校の國學院栃木に勝つと思ったが、甘かった。完敗。また、國學院久我山が大分東明に敗れたのも予想外。12-41と意外な点差であった。高校ラグビーは概して西が東より強いのは変わらない。

 <霜月流 『遊郭島心中譚』(講談社、2024年)>:2024年江戸川乱歩賞受賞作(『フェイク・マッスル』と同時受賞)。
 横浜、遊郭、万延元(1860)年と文久3(1863)年、英国海軍将校、心中箱、信実愛、・・・舞台構想、ストーリー展開、人物設定、殺人動機、外人との愛、最終の本格的ミステリー展開、等々ユニークであり、力作ではあるが、入り込めなかった。鏡と伊佐との人生交錯がどう展開するのかと待ちながらページを捲ったが、鏡の影が薄くなり殺されていたとの物語進行には落胆-この点は東野圭吾の選評と同じ-。文中の「心中とは元来”心中立て”の意」には忘れていたことを気づかされたとの感あり。
 「選考会の意見を踏まえ、刊行にあたり、応募作を加筆・修正しました」とあり、応募作と選評と最終刊行本を並べ比較してみたい。
 2024年の最終読書。