2024年9月16日月曜日

採決検査結果、対抗戦ラグビー、PCのヒンジ破損

 8月に採血した検査結果が出た。多分10数年ぶりになるのだろう、コレステロールが正常値の範囲に入り、すべてに異常値がなかった。嬉しくなって病院から帰宅後に飲んだ。

 大学ラグビーがスタートした。早稲田の初戦は立教。出だしは立教の闘志ある早い出足に押されてもいたが徐々にトライを重ねるようになり、結果は57(9T6G)-6(6PG)。日本代表の矢崎が4Tと活躍し、ラインへの参加、早さ、等々やはり数段も上である。トライをとってもPOMでのスピーチでも一切ニコリともせずにいたのが印象に残る。思うに、大田尾監督は自由にやらせているのいではなかろうか。
 1年の服部(SO)を見られて良かった。終了近くに担架で運ばれた選手(粟飯原か)の負傷具合が気になる。
 ジュニアB戦で早稲田が帝京に勝利。思い入れも含めてであるが早稲田は層が厚くなってきている(ような気がする)。

 接戦となることの多い筑波vs慶応戦をオンデマンドで観戦。キックオフから暫くは均衡すると思われたが筑波が徐々に引き離して勝利。両校とも軽いプレーで力強さを感じなかった。対抗戦グループは早稲田・明治・帝京の3強に少し差があって筑波・慶応となるか。立教・青学あたりが慶応に勝利すると面白いのだが。

 1Fで使用しているNote PC、“DELL Inspiron 15 3250“の右側ヒンジ部がバリバリと音がして破損。数年前に別メーカーのNote PCの右側ヒンジ部が破損してネジ止めして修復したことがあり、これで2度目。今回も右側の破損であるのは右手での開閉動作のせいであろう。
 主に機械設計で給与を得てきた経験から言えば、PCを操作する際のヒンジ部への応力作用に対する設計時の想像力というか推察力が全く欠けている。というのは、薄い肉厚のプラスティック部への雌ネジインサートの設計がお粗末。抜け止めのためにテーパを付けるとかフランジを設けるとか、或いはプレートナットにするとかの工夫があればまだましである。DELL Inspiron ヒンジ部の破損はネットでも多見する。おそらくは負荷試験や繰り返し試験は実施されていないのであろう。カバーのネジ止め部も肉厚が薄いために破損しやすいと推測する。軽薄短小への設計的考慮が軽薄になっているヵ。
 配線の断線に注意してPC底面カバーとディスプレイのベゼルを取り外し、ヒンジ部のディスプレイ部に貫通孔を通し、雄ネジを通してナット止めにした。面倒なのはM2.5のネジが近くのホームセンターになくしょうがないのでM3にて代用しヒンジにも孔拡大の加工を施した。ヒンジが硬いのか、皿モミも含めてドリル加工に時間を要した。PCを閉じればカバーにナットが3個飛び出ていて修復後の外観はスマートではないが、逆にその無骨さには安心感があふれている。予防保全で左側ヒンジ部にも同様の対策を施そうとしたが、面倒なので今後破損することがあればその時に対処することとした。

2024年9月8日日曜日

小説、戦争観の分析、小説

 9月に入っても暑い日が続いている。エアコンはまだ付けっぱなしで運転停止は朝目覚めてからお昼まで。暑さ寒さも彼岸までなんて言葉は死語になってしまった。

 <赤松利市 『風致の島』(講談社文庫、2024年/初刊2020年)>:目を通した著者5冊目の小説となる。舞台はバリ島。暴力と歪んだ愛、欲望のはけ口が展開される。著者の描く異状世界の小説はこれでお了いにしよう。

 <吉田裕 『日本人の戦争観 戦後史のなかの変容』(岩波現代文庫、2005年/初刊1995年)>:いままで本を読んで、あるいは実際に生きてきて身についた歴史観を再確認した内容である。1949年生まれの我が身とすればちょいと時期がずれている同時代史といったところである。敗戦後の”民主化”とされる流れは捩れていて、アメリカ一国の欲望に追従するしかなかった、否、追従する能力しかなかった日本の政治家たちという捉え方はより強く感じる。

 <日野瑛太郎 『フェイク・マッスル』(講談社、2024年)>:70th江戸川乱歩賞受賞作。綾辻行人・有栖川有栖・辻村深月・湊かなえの評価が高く、東野圭吾の評価もそれに準ずるような高評価で、貫井徳郎は違った物差しで評価したとあり、真保裕一は「面白さが私にはわからなかった。ユーモアでは片づけがたい土台の脆弱さが目についたせいだ」とする。
 全体的な軽さが好みではなく、呼んでいる途中で最後にはそれまでの物語のピースをはめ直すはずだとの予感もあった。もっとコミカルな味を加えれば面白さがあった思う。深夜に流す経費削減の安手の安易なミステリーという感じがつきまとった。要は選考委員が高評価するのだが、「面白さが私にはわからなった」。

2024年8月29日木曜日

指を切ってしまった、ちょっとした読書、ワインと爆睡

 8/21に右手人差指第2関節下を包丁で切ってしまった。6日後またもや不注意で今度は左手薬指先を包丁で切ってしまった。前の右手よりも深い。テープでぐるぐる巻きにしているので暫くはEWIの練習ができない。両方ともちょっとした不注意でちょいと情けない。
 数ヶ月前はフライパンで火傷を2回しているし、昨年は野菜のスライサーで指先を2回切ってしまい危険回避のためにそのスライサーを捨てた。それもこれも加齢のせいなのであろうか、否、単なる粗忽な性格によるものなのであろう。

 <フランシス・フクヤマ 『政治の起源 上』(講談社、2013年)><フランシス・フクヤマ 『政治の起源 上』(講談社、2013年)>:やっと(!)表紙を開いてほぼ一気読み。興味の中心は”人類以前”と”地域比較-主にヨーロッパ・中国・イスラム圏”。個々の地域国家とインドには関心が向かない。各章で参考となった文章は目次とともにエクセルにまとめて転記しておいた。
 10数年前に刊行された本書での指摘であるが、「苦境にある民主主義のキー」は「国家、法の支配、説明責任を持った統治機構、の均衡」とある。もちろん現在の状況にも当てはまる。国家間の紛争・戦争に目を向けるまでもなく、現役で働いていたときから組織(社会)で重要なのはアカウンタビリティ(説明責任)と思っていた。そして今、その説明責任に向き合わない政治家(屋)たちをニュースやSNSなどで日常的に触れると、結局のところは人間の組織の中における逃げとか不正義とか狡さとか正当化などというものは、”本能”だと割り切りしかないかと最近は思うようになっている。その本能に向き合うものが秩序や法であろうが、それもまた人間がつくりあげるものであると考えれば、何だろう人類はメビウスの輪の上をひたすらに歩いているだけとも思える。その輪の上にある僅かな凹凸や切れ目を拡げたり縮めたり填めたりしているだけのかもしれない。

 急に赤ワインを飲みたくなった。通常は白ワインを飲むのだが何故か赤を飲みたくなった。鶏肉のガーリック炒めと好物の砂胆-両者とも塩と黒胡椒での味付け-を作り飲み始める。夜は酔っていたくないのでいつものように昼飲み。アルコール入り葡萄ジュースといった体で1リットルを空けてしまった。その後は夕方まで爆睡。寝不足でもないのに4時間以上眠ってしまった。

2024年8月25日日曜日

幾冊かの読書と感想、思うことなど

 <佐藤優 『日本国家の神髄~禁書『国体の本義』を読み解く~』(扶桑社新書、2015年)>:買い求めた時に少し読んで辟易して頁を閉じてかなりの年月が経った。やはり読んでおかねばと思い忍耐強く読み通したが辟易としたことには変わりない。本書に向き合う姿勢は二つ。一つは「國體」-戦前の国家思想を指すときは個人的に旧字体を使っている-そのものに対して、もう一つは著者が理解し主張する「國體」に対してである。著者は『正論』に連載し、扶桑社からそれを新書として出版した。その名前だけで自分なりの判断を下している。
 「わが同胞、わが国家のために、自らの命を捧げ、状況によっては自らの命を投げ出す心構えできていない」ことが「何か足りない思想」だとの主張を目にするだけで背を向ける。
 『國體の本義』が示す高天原と、天照大御神の神勅を信じる「神話共同体」が日本であり、「むすび」がそれを支えるとする。『國體の本義』を政治エリートたちがキチンと理解すれば負け戦となる大東亜戦争-この呼び方にも抵抗は感じる-には至らなかったという。右翼と保守を峻別する。私的には「國體の本義」を理解したうえに立っての、神に直結する天皇を崇拝する日本という国は実現するはずもないと考える。日本神話であろうが西洋的な神であろうが、「神」そのものの理解と受容性が自分には欠けていると思う。端的に言えば「神」を信じるということ自体が理解できない。西洋的な神であろうが、日本神話に繋がる「神」であろうが何故に信じるのかキチンと理解できない。突き放してしまえば、理解しようとも思わないでいる。

 <渡辺京二 『バテレンの世紀』(新潮社、1017年)>:『黒船前夜』と違って没頭できなかった。何故なんだろうか、退屈してしまった。本書のせいではなく読み手である自分のせいであろう。

 <渡辺京二 『コンヴィヴィアリティのための道具』(ちくま学芸文庫、2015年)>:イリイチが唱える「コンヴィヴィアリティ」、すなわち「自立共生」。理解できる(ような気がする)が、社会のあり方などの主張や論争に関心がなくなっている。簡単に言ってしまえばなるようにしかならない、考えを向けるのはそのなるようにしかならない社会や諸制度、政治そのもの歴史の積み重ねに対して自分はどうあるのか、どう捉えているのか、そしてどう向き合って日々を過ごすのかということだけである。

 <永井義男 『剣術修行の廻国旅日記』(朝日文庫、2023年/初刊2013年加筆修正改題)>:『剣術修行の旅日記』を加筆修正し、改題したもの。2013年初刊の朝日選書版は2020年に読んでいる。ためにざっと目を通しただけで終えた。

 <永井義雄・はしもとみつお 『不便ですてきな江戸の町 ②』(リイド社、2024年)>:シリーズ2冊目。内容も絵も楽しめる。

2024年8月23日金曜日

ふと思うこと

 高石友也さんが亡くなった(享年82歳)。「受験生ブルース」や「北の国へ」「主婦のブルース」が歌われていた時期は大学入学の年であり、あの頃に住んでいた高田馬場の4畳半の部屋や食事をした大衆食堂、諏訪神社を歩いていたときにアパートから聞こえてきたフォークソング、クリーニング屋さんのテレビ画面で歌っていた和田アキ子、点字図書館の前で偶然に会った従兄弟、その頃読んでいた本、等々が、切り取ったビデオ画面のように頭に浮かんでくる。
 18歳には色々な可能性が足下に広がっていたはずだが、その可能性を抽象的にしか考えられなかった自分がいた。

 松岡正剛さん(同80歳)、石川好さん(同77歳)も亡くなった。いつになるか分からないが、自分の人生の終わりも確実に近づいてくると実感する。部屋にある楽器やCD、読み終わっても取ってある本、積ん読状態になっている本、沢山の辞書等々の処分を考えねばならないだろう、捨ててしまう踏ん切りをつけねばならないだろうと考える。空っぽになる自分の部屋を空想する。

2024年8月16日金曜日

YouTubeトラブル続き、おっちょこちょいのミス

 14日に「YouTubeには頻繁にアクセスするわけではないので、原因を探るようなことはしない」と記したが、やはりそのままにしておくのは不快なのでテレビドラマを見ながらwebで原因&対処方法を探った。キーワードは「DELL Windows Youtube 見られない」。幾つかヒントを得られたので幾つか試したら正常にYouTubeにアクセスできた。時系列的に経緯を記しておく。
 ① Chrome拡張機能のAdGuardブラウザアシスタントを無効にする → 効果なし
 ② SmartByte Analytics Service, SmartByte Network Serviceの両者を無効にする → 効果なし
 ③ ②に加えて次のアプリも停止 Rivet AP Selector Service, Rivet Dynamic Bandwidth Management → 効果なし
 ④ 更にAdLock Serviceを停止 → 正常にアクセスできた。
 ⑤ 停止していたChrome拡張機能のAdGuardブラウザアシスタントを有効にする → 変化なし PCリブートでもOK
 ⑥ 停止していたAdLock Serviceを有効にする → 再度YouTUbeアクセス不能
 ⑦ AdLock Serviceを無効化、PCリブート → 正常なアクセスOK
 ⑧ MSワードの立ち上がりが遅くなるので②③を有効にしリブート → OK状態を維持。結局AdLockが悪さをしているのか。
 再現性を確認するために上記①~⑧を再確認。結局のところ、AdLockをスタートアップから除去し、あわせてAdLock Serviceも無効化することでOKとなった。が、なぜAdLockが突如悪さをするようになったのかは不明。というの、AdLockは以前から機能するようにしていたので、何かYouTubeかWindowsかChromeなどの更新との合わせ技でYouTubeにアクセスできなくなったとしか思えない。
 DELLにおいてのYouTubeアクセス不能については、Webでは上記のSmartBiyteやRivetに関する記述が見られるが、自分のDELLには影響はなく、結局はAdLockの仕様がNGであった。
 もう新規にPCを購入することはないであろうが、他にちょっとした不具合もあり。少なくもDELLを購入することはないであろう。

 YouTube絡みの不具合是正を調べている間に自室のテレビ周りのレイアウト変更を半日がかりで行った。変更は5年以上ぶりになろうか、テレビ専用のスピーカーやアンプの配置を変え、以前よりはすっきりした。

 そしてYouTube不具合の再確認を行っていたら今度はLAN DISKが繋がらなくなった。あぁ、今度はこれかよ、と思いながら表示されるエラーコードを頼りに回復を試みた。ネット関連の知識は皆無に等しいのでWebに書かれている一般的内容、IOデータに説明されている記述をもとにレジストリーの設定に入ったり、いろいろ確認し、最後にはバックアップしてある2ヶ月前の状態に戻そうかとも思ったが、夜も遅くなったので中断し自室に戻った。
 自室のPCを立ち上げたらここでもLAN DISKに繋がらず1FのPCと同じエラーコードが出る。ここでもしかしたらとふと思い当たり電源アダプターに目をやったら、なんとタップから外れている。レイアウト変更時に配線をいじくっていて外れてしまっていた。接続したらLAN DISKにはちゃんと接続された。がっくりきた。不具合で疑うのはまずはそれまでの自分の行動(言動)、成したことの振り返り、という基本的な姿勢であると再確認させられた。

2024年8月14日水曜日

Southern Raised、YouTube

 大好きなバンド、Southern Raised (SR) からLindsayが最近引っ越しをして脱退することになったとfacebookにあった。最初の4人姉弟のメンバーから最初にSarahが抜け(結婚と引っ越し)、次にLindsayが抜け、寂しさを感じるがしようがない。新しくMaggie Farnumが加入したとあり、彼女の名前で検索するとベースフィドルを演奏するらしいし、ファミリー・バンドでもベース・パートを担っていた(る)ようで、そのうちに彼女がベースを弾く曲もアップされるであろう。YouTubeにアップされた新しいSRによる最新映像では、(珍しくAlexも歌っている)4人でのハーモニー。

 何が原因なのか、1FのPC DELLにおいて、ChromeとMS Edgeの両者でYouTUbeが動作しなくなった。真っ白画面でフリーズしている状態である。前日までは何の不具合もなかったのに。
 FirefoxをDLして試したらそれでは正常である。通常はChromeを使用しているのでYouTubeのみFirefoxにして使い分けるしかない。・・・と思っていたらFirefoxでもだめになった。翌日になって試しにFirefoxを再インストールし、試しにOperaも入れた。そうしたらこの2つのブライザでは正常にYouTubeに入ることはできたが、相変わらずChromeとEdgeではだめ。何がなんだか分からない。・・・翌日になったらOperaでもFirefoxでもダメになった。YouTubeには頻繁にアクセスするわけではないので、原因を探るようなことはしない。

2024年8月11日日曜日

スピーカーユニットの変更、新規製作、EWI

 1FのPCから音を出すのに使用していたEDIFIERの音がどうも好きになれない。ついに堪えられなくなりスピーカーユニットそのものを交換して見ようと思った。実装されているユニットはどうみても安物にしか思えず、評判のいいユニット-といっても2個セットで4,000円弱のものだが-購入した。さあ交換という段に入ってから自分の迂闊さが判明。ユニットの呼び径は注意したが奥行きの確認を疏かにしてしまい取り付けが出来なかった。そこからちょっとした泥濘みに足を入れてしまい、結局は新規にエンクロージャのキットを購入して組立・塗装。・・・ブラック外観のPCと黒色塗装の新規スピーカー、さらにドライブするためのUSBコントローラとアンプがすべて黒く、全体的な外観はとても気に入った。
 EDIFIERのコントローラを利用するつもりでこれも改造したがやはり低音強調でかつ中音が籠った音であり不満全開。このコントローラで他の数種のスピーカーを鳴らしたがどれも好みではなかった。結局は新規製作スピーカーを鳴らすためにFOSTEXのボリュームコントラーを購入し、2F自室のシステム構成をほんの少し変更してFOSTEX AP15dを流用して接続した。この間約3週間近く要してしまった。
 更に、随分前にSTEREO誌で購入した2wayスピーカーの8cmユニットを余っていたフルレンジZ-Modenaと交換した。ネットワークの特性も無視してユニットを交換するのはどうかと思うのだけれども少しばかり高価なZ-Modenaを取り付けた。そのままでは取り付けられないのでアダプタープレートを自作。音質よりも工作を楽しんでいるといった風である。
 新たに購入してしまったものは以下;
 2.5インチスピーカーユニット、90mmファンガード(スピーカーグルリの代用)、エンクロージャキット+バッフルボード、FOSTEX PC100USB-HR2(中古品-FOSTEXより購入)、スペーサー、MDFプレート・・・合計約18,000円。スピーカーを作り、配線し、音を出すことは楽しかったが少々高くついてしまった。

 久保田早紀の名曲「異邦人」のボーカルをリムーブしてカラオケを作り、メロディーをEWIで鳴らして録音。これで48曲の録音となった。EWIの音色やバッキングを変えたりしたものを重複とカウントして除外すれば曲名だけで38曲となった。誰に聞いてもらうでもなく只管演奏の完成度を高めることに注力している。「異邦人」にしても深夜に何十回と練習してはある程度のレベルで良しとした。
 過去のものを聞き返すと案の定ミスには気付く。連れ合いに聞いてもらうと上手くなっている(気がする)との評価だが、自分では相変わらず下手だと感じている。出来ばえよりもプロセスを楽しんでいる。

2024年8月8日木曜日

踵の痛み、大腸内視鏡検査

 突然に5年ぶりに左足踵に痛みが出た。歩くときには少し左足を引きずる。経皮消炎剤を貼り、痛みが酷いときは鎮痛薬を飲むことが2回あったが、経験上5日も経てば消えるだろうと耐えた。そしてほぼ5日経ったら痛みは消えた。
 踵骨棘はいつ再発するのか分からないから財布と日常的に使用するバッグに鎮痛剤を欠かすことはない。次に出るのはいつだろうか、近くに住んでいるのに普段は顔を合わすこともないが、いつ何時に会うかもしれない知り合いに似ている。

 昨年11月下旬に行った大腸内視鏡検査で5箇所のポリープを切除したものの、生体検査では1箇所に「8mmのポリープに癌があるようなないような、顕微鏡で見るのだが小さくて判断がつかないとの検査結果」であった。その経過検査のために6日に人生6回目となる内視鏡が大腸の中に入った。主目的であった「癌」なのかどうか判明しなかった箇所はキレイになっており心配不要と言われたが、5mmと6mm計3箇所のポリープを切除。小さいので前回は切除しなかった模様である。生体検査の結果は2週間後。
 検査後空腹が堪らない。翌朝の体重測定では検査前日の値より1.9kg減量となっていた。

2024年8月5日月曜日

雑記、本3冊

 佐渡島が世界遺産に認定された。世界遺産の意義はきちんとしたものが存在するのであろうが、日本という国においては単に観光経済のための手段であると思える。

 オリンピック、歓喜と悔しさ、賞賛と批判、等々。スポーツ観戦は好きだが感動の押し売りは不愉快。

 <藤巻一保 『戦争とオカルティズム 現人神天皇と神憑り軍人』(二見書房、2023年)>:暑いので一気読みとはいかず3週間ほど要してしまった。何故に神憑りになってしまうのか十分には理解できない。現人神天皇化による教化と臣民統制によって、何かに依存して自己顕示・自己確立を志向するする人が神憑り的になってしまうのであろうか。その本質は、人は何かに支配されたい、従属したいというような気質があるのかもしれない。そうすることによって集団の中で生きることが楽になるのであるから。 語られる(章立てされる)人物は、四王天延孝・安江仙弘・犬塚惟重・山本英輔・小磯国昭・矢野祐太郎・浅野正恭・秋山真之・秦真次・満井佐吉・相沢三郎・磯部浅一・清原康平・大岸頼好・大久保弘一・石原莞爾、最後に昭和天皇と東条英機。

 <沼井邦満 『メコンの南の町から』(新潮社、2023年)>:サブタイトルは「タイ、田舎の高校で過ごした500日」。メコン川の南、ラオス国境に近いタイ/ルーイの近くの高校で日本語を教えた体験記。タイの文化、環境を主に描くが、相対的日本文化への批評、文字文化に対する記述も多い。読む前には濃厚なタイの人々の生活や文化の活写を期待したが、さほどではなく浅くて薄いという感じである。一方、日本文化批評あるいは漢字字義に多くの頁が割かれていた。しかしそこには真新しいさや鋭さはなく、全体的にこちらの前のめりの期待に肩すかしをくらった気分である。

 <辻田真佐憲 『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)>:サブタイトルは「愛国と神話の日本近現代史」。その内容は、「大日本帝国を「神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家」と定義したうえで、戦前を五つの神話にもとづく物語に批判的に整理し」て論じられる。五つの物語とは、「原点回帰」「特別な国」「祖先より代々」「世界最古」、そして「ネタがベタになる」物語。 先に読んだ神憑り軍人の基礎にあるのが明治になって完成された「神話」である。神話への原点回帰というよりも、明治回帰を主張する声が今は濃くなっている気がする。現在の日本の姿を形作ったのは記紀に依拠する歪んだ神話形成である。

2024年7月27日土曜日

3週間ほどにわたる雑記

 山形県議会で、1日1回笑うことなどに努めるという「県笑いで健康づくり推進条例」が可決された。国会では裏金作りに励み、山形県ではかような「嗤える」条例制定策定に熱心になる。そのような自民党(会派)の政治に阿る人達がいる。バカバカしさに呆れる。

 先日議会選挙に関するアンケート電話があった。どこの政党に投票するのかという趣旨の質問があり、全政党の名前があげられてから最後に「まだ決まっていない」という項目も耳に入ってきた。「選挙には行かない」という選択肢がないことに違和感を覚えた。

 19日、高校第20回卒業の友人たち11人-12人の予定だったが一人が夏風邪で欠席-と上野で飲む。3月下旬以来の飲み会。暑いなか多くの人たちが歩いている。一次会を2時間で終えて外に出たときは兎に角エアコンのあるところに入ろうとカラオケに入る。ここでも2時間。その次はIsa・KoYoと3人で大宮で飲む。富山の酒“勝駒”を初めて飲んだ。美味。かつて富山で6年半を過ごしたがこの酒は知らなかった。
 21時10分前に帰宅。いつもの深酒よりは酔っていなかったせいか、翌日、連れ合いから、今までの深酒を少しは反省しているのかと思ったと言われた。反省なんて殊勝なことはなく単に少しばかり落ち着いて飲んだだけである。それにしても外は暑かった。

2024年7月5日金曜日

本2冊

 暑い、梅雨に入っているはずだが碌に雨も振らない。四季に恵まれた日本はなくなっている。少なくとも今居住している地域では。

 <蒲池明宏 『火山と断層から見えた神社のはじまり』(双葉文庫、2024年/初刊2021年加筆修正改題)>:火山-黒曜石、サヌカイト、翡翠、碧玉、朱丹・・・。断層-渓谷、川、水、道・・・。熱、温泉、巨岩、自然の怒り・・・。このようにキーワードをメモしておけば神社のはじまりが火山-断層に位置する意味が理解できる。

 <石井妙子 『女帝 小池百合子』(文藝春秋、2020年)>:全く知らなかったという内容はほとんどなく、ここに描写されていることはすべて事実であろう。以前よりこの女性政治家には嫌悪感しか抱かない。それは言葉を弄び、本質を逸らかし、意味もない言葉で飾り立て、嘲笑の笑みを浮かべる。これらは何も彼女固有の性向ではなく、多くの、特に権力を握った者に多く見られ、彼等彼女等をも嫌悪する。では彼等彼女らの存在や行動が問題なのかというとそうではなく、それを許容している社会がおかしいとしか思えない。単純に言えば選挙というシステムがおかしいし、それに乗っかって愚かな政治屋を持ち上げる人々もおかしい。東京都知事選ではそのおかしさがまたもや露呈するであろう。
 自民党総裁の交代が話題になっている。石破さんが候補筆頭にあるらしいが、石破さんが次の総裁になるのはちょっとやめてほしいという気持ちがある。もし石破さんが総裁になれば自民党一新というムードが出てしまい、それに乗じて現在の自民党の問題が希薄化してしまい、相変わらずに問題の本質が雲散霧消してしまうであろうと危惧するからである。腐ったものは徹底的に腐らしてしまうのがいいのではないかと思う。そのうえで一新のムードが醸し出されるならばまだマシだと思う。
 それにしても56人も立候補している東京都知事選の様は、テレビでの面白くもないバラエティ番組と似ているー見ることはないが土日によく流れるので土日のテレビ放送は余計につまらない。・・・この人ならば知事になって欲しいと思う候補者はいる。

2024年6月26日水曜日

ヘッドホン

 SONY MDR-7506のカールコードと折りたたみがどうしても好きになれず息子にあげた。似たような価格帯の新しいヘッドホンが欲しくなり、いろいろ調べてHIFIMAN HE400seを購入した。ポイントが貯っていたので1万円を下回った。平面駆動型のヘッドホンはFOSTEX T60RPを持っているのだが、異なる平面駆動型のものに興味を持ったことも購入動機の一つである。好奇心が嵩じてHE400se用に安価な4.4mm-3.5mmバランス入力のコードを購入し、同じくXLR 4pin-3.5mmのバランス接続コードを手作りした。手作りのもののコードはオヤイデから購入し、端子はサウンドハウスから購入。2本のコードを適当に撚り、部分的にアセテートテープを巻いているので手作り感は否めないがまぁまぁの外観ではある。

 バランス対応のオーバーイヤーヘッドホンはこれで3つとなった。価格帯の異なるSENNHEISER HD 650、FOSTEX T60RPとHE400sを比較するのは不適であろうが、やはり違いは歴然としている。価格的なことを考慮すればHE400sは解像度の高い優れたものであるが、尖って刺さってくるような音質であり、エレキギターや金管楽器の小アンサンブルを聴くにはいいであろう。あるいは気分が苛だっているときや刺戟が欲しいときには向いていると感じた。HD 650はやはり最も優れている。T60RPも好きだが、ブルーグラスやジャズを聴くときにいいような気がしている。バランス対応のイヤホンも幾つかあるのでそれらと比較するのも面白いであろう。

2024年6月25日火曜日

ヘルスメータ、小学生時の記憶

 ヘルスメータの機械的操作部分が故障して-分解せずとも故障原因は判る-、使おうと思えば使えるが不便なので新規購入した。いままではTANITAの商品を使用していたが今回はOMRONのものにした。そうしたならば、体脂肪率が5%ほど高い値を示すようになった。前の数値が低すぎるとは感じていたので、新しい数値には残念ながらも得心する。それ以外には差異を感じることはない。体年齢が12歳下で出ることに満足。

 連れ合いと漢字の話をしていたらふと小学校の時の漢字の読み方での失敗を思い出した。小学校4年ぐらいの時と思う。当時プロ野球に東映フライヤーズに毒島選手がいて、それで「毒」の読みのテストのときに、もちろん通常は「どく」と読むのは知っていたが、別の読みを知っていることを自慢したかったのか、あるいは面白がったのかもしれないが「ぶす」と回答した。帰ってきた答案にはバツがあった。教師に問いただすと「学校で教えていない、特殊な読み方だ」と言われた。当時の教師は亀井先生だった。
 もうひとつ、対義語の問題があり、「いただき」の回答がよく分らなかった。どう発想したのか。「いただき」ますの対義語は「ごちそう」さまと解釈し、回答は「ごちそう」とした。帰ってきた用紙には「ふもと」と朱書きされていた。恥ずかしかった。もしかしたら昼食時間前で空腹だったのかもしれない。あるいは美味しいものを食べたいと願望していたのかもしれない。懐かしい(恥ずかしい)思い出ではある。

2024年6月17日月曜日

カード登録変更手続き、文庫本2冊

 失効していたクレジットカードに変わる新しいカードがほぼ1週間で届いた。そして定期的な該クレジットカード支払いになっている9社への登録変更手続きを行った。6社はwebや電話で手続きが完了したが2社は平日のみしか対応しておらず、さらに1社は郵送通知に基づくweb手続きとなった。
 9社に連続して手続きをすると相手側の応対の相違が如実に表れて面白い。電話応対が丁寧なところ、webに記載されている内容の不備があり詳しく読まないと適切な処置ができないところ、さらに1社はwebの記載内容が現実と合致せずにある意味たらい回しになってしまったところもあった。応対に疑問を抱いてしまうところは、乱暴に言えば、相手側がどう受け取るが想像力が欠如しているのであろう。

 <三日市零 『復讐は芸術的に』(宝島社文庫、2024年)>:軽~いエンターテイメント・ミステリー。小4のメープルや女裝するエリスなどなど登場させる人物の設定にかなり無理はあるけれど謎ときのコミックと思えばそれもよし。『復讐は合法的に』でデビューした第2弾。小難しいことは何も考えず、ボケーっとしてミステリーでも読みたいとき読むにはいいかも。ということはそういう状態で読んだということ。

 <吉川トリコ 『余命一年、男をかう』(講談社文庫、2024年/初刊2021年)>:第28回島清恋愛文学賞受賞作。40歳独身、20歳でマンションを購入し、贅沢は一切せずにC/Pのよい人生をおくろうとするも無料だからと受診した検査で余命一年長くて3年の子宮癌が見つかる。一切の治療も受けずそのままに死んでいこうと決心して病院のロビーで会計待ちをしていたらチャラい10歳以上年下のホストを職業とする男に金を貸して欲しいと頼まれ受諾する。70万円の返金のかたにホストとしての男を買う。そして全財産を譲るからと結婚までする。ある意味人生に投げやりな、さして魅力があるわけでもない女と、チャラいけれど義理堅さもあるハンサムな男とのやりとりが面白いといえば面白い。が、その面白さが乾ききっていて無機的でもある。手術をして生きながらえている主人公の女は離婚届を引き出しにいれたまま、まぁ使うときがあれば使えばいいさとキルトづくりに勤しんでいる。
 父親がふにゃふにゃしていて、10数歳年長の継母は賢母の振る舞いをし、不倫の上司は勝手なバカ男で、世の中に埋没して自分の生き方を割り切ってしまえば、主人公たちの生き様もまぁこんなものかと距離をおいて眺められる。「かう」は買うでもあり飼うでもあるヵ。

2024年6月2日日曜日

2日続けて北千住、そして反省

 31日、北千住にてTaHiとSuJuとで飲む。いつもの店から始り、2軒目はオレの希望で以前に入ったことのある、千住葱鍋がおいしいチェーン店に入る。1軒目に引き続き2軒目でも焼酎のボトルをとり、翌日になってさすがに飲み過ぎかと思う。
 この店で会計を済ませてから事件は起こった。バッグの中に財布がない。いくら捜してもない。店に戻ってカウンターで尋ねても届けられていないと言われる。この時点でもう諦めかけていた。財布がないけれど構わないと言うSuJuの言葉に甘え、五反野のいつもの飲み屋にて1時間弱追加で飲んで電車に乗る。
 帰宅してから一眠りし、アルコールがほぼ抜けてから午前2時過ぎにカード会社に電話を入れてカードの失効手続きをした。掏られたのか、あるいは落としてすぐに拾われてしまったのか、諦めるしかない。
 翌朝早くSuJuからメールが入り、ダメ元で北千住西口交番に電話をしてみて拾得物が届いていないか確認してみたら如何と電話番号も付記されていた。電話を入れたら女性警官から財布が届いていると告げられる。紛失したと思われる場所と大まかな時間、財布の形状、入っていると思われる現金、現金以外の内容物-カードの枚数と種類、登録名を尋ねられ、断定は出来ないけれどほぼ該当する財布ですねと判断された。交番にまだあるので急いで来てくださいと言われ、少し経ってからまた電話が来て、既に本署の方に移されているので急がなくとも結構ですと親切に教えてくださった。紛失に気付いて店に戻るときに並行してすぐ近くの交番に寄ればよかったとつくづく思う。
 1日、前日に続いてまたもや北千住に行き、西口交番で本署までの経路を教えてもらい、本署の受付で用件と名前を名乗ったらすぐにこれですねと財布を見せられた。最初の電話での確認事項の再確認を行い、免許証を見せ、財布を受け取った。失くした財布も日本では見つかるとはテレビでよく見ることだが、自分がその当事者になるとは思いもしなかった。
 すぐにカード会社に連絡を入れ、失効を復活させることはできないと言われ、あとは1~2週間後に新しいカードが届くのを待っていてくださいとのこと。届いたら定期的支払いに紐付けている会社に1社ごとに連絡を入れてカード番号変更の手続きをしなければならない。これが面倒だが、自分のミスへのペナルティと思うしかない。正直言えば、オレは一旦落ち込んでも(心配しても)結局はいい方の結果にとなる運のいい人間だと再認識した。
 帰途、新越谷で途中下車して、コロナ前には時々購入していた弁当を買い自宅に帰る。
 以下は反省と教訓;
 ① 飲み過ぎないこと ・・・これは昔からの大きな課題、永遠の課題。
 ② 飲むときには定期的支払いに紐付けているカードは財布に入れないで別のカードを持つ。
 ③ 飲むときには財布はバッグや衣服に繋げる。連れ合いとの国内外旅行の際は真っ赤な財布を常に衣服に結びつけていたので、今後はそれに倣う。

2024年5月31日金曜日

数学と漫画

 PCの修復や設定に多くの時間を割くこととなり、本を読むスピードがなかなか進まなかった。尢も4~5年前に比べると総体的に読書量は減っている。

 <H.M.エンツェンスベルガー 『数の悪魔』(晶文社、2000年)>:知識として真新しいことはないし、描写の仕方は子供向けのようでもあるし、楽しめない。

 <ウルバノヴィチ香苗 『まめで四角でやわらかで 下』(リイド社、2024年)>:難しいことは何も考えず、ゆったりと。ウィスキーを嘗めながら。上巻を娘の娘にあげたのでこれもそうした。

 <坂上曉人 『神田ごくら町職人ばなし』(リイド社、2023年)>:評判の良さで細密でありながらのダイナミックな描写を期待していたが、現実にはその期待は少し萎んだ。

 <マーカス・デュイ・ソートイ 『素数の音楽』(浸透文庫、2022年)>:難しい数学のことは分からないが、登場する数学者の多くの名は知っている。数学の流れの中で櫂をこぐ数学者たちの生き生きとした様を通じて数学(素数)の世界を眺め、楽しめる。この本は古本屋さんには売らずにとっておき、好きなときに関心のある頁を開いて見たくなる。

2024年5月30日木曜日

PC入院、心エコー・CT検査

 5月12日に新規購入したPCの設定が完了して落ち着いたところ、深夜に突如そのPCが不調に陥った。突然に動かなくなった。理由が全く分からない。他の2台のPCの設定とかけ離れた特殊なことはしていないがWindowsが立ち上がらなくなった。エクセルの機能が一部効かなくなったのが前兆だったような気がする。どうして良いか分からずとうとう現状復帰を諦め初期化しようとしたがそれも出来なかった。
 購入先は24時間365日のフォロー体制が敷かれているので深夜2時頃に電話を入れて不具合までの状況を説明し、結局は翌日に引き取り修理してもらうことになった。23日に初期化されて戻ってきた。
 引き取りから納入まで一切の費用はかからなかったが、数日間かけて設定したことを再び実施することになり、結局のところ完了したのは26日頃。短期間の間に2回もPC設定をする破目になった。一番面倒くさく感じるのは各種アプリケーションのインストールと設定。過去何度もPCの不具合は経験しているけれどこのような短期間で2回も設定を繰り返したのは初めてのこと。設定途中でバックアップを取っておけば良かったとの後悔を踏まえ、今回は修復ディスク作成とバックアップを早い段階で実施した。同時に他の2台のバックアップも久しぶりに取った。バックアップをきちんとやっているときには不具合は生じないが、不具合がないからと手を抜くと不具合が出てしまう。これからはこまめにバックアップを取っておくことにしよう。

 4月30日に受検した心エコーと冠動脈CTの結果を聞きに27日に病院に行く。本来は20日の予定であったが、雨の日のその日は突然に休診となり、2週間後の予定となると通知されて苦情を言い、なんとか27日に予約を入れてもらった。
 冠動脈CT撮影画像で自分の心臓を眺め、何の異常もないキレイな状態だと言われる。動脈が蛇行している部分は加齢で血管が伸びている為であると言われ、釧路湿原の川の様だと口にしたら(娘と年齢的に近いと思われる)女医さんは笑っていた。報告書には「各冠動脈にプラークや有意狭窄病変は認められません」との記載。安心した。
 心エコーの結果は軽度の大動脈狭窄とのこと。1年後にまた紹介状を持ってきてもらい継続検査をしましょうとのこと。以下は報告書からの転記。括弧内は報告書の内容をネットで確認したメモ。
  左室壁運動良好、左室収縮機能及び拡張能は正常
  大動脈弁3尖に中程度の石灰化を認められる (CT報告書の記載)
  A弁に強い石灰化による弁の開放制限が認められる(心エコー報告書の記載)
   AoV VP 223.7 cm/sec 
    (AoV=Aortic Valve, VP=peak aortic jet velocityヵ、正常範囲)
   AoV MPG 10.2 mHg (mPG=mean Aortic pressure gradient、正常範囲)
   AVA:トレース法にて1.96cm2  連続式で1.86cm2 → mild AS
    (AVA=Aortic Valve Area=大動脈弁口面積)
    (AS=Aortic Stenosis=大動脈狭窄症、A弁=前尖=Anterior Leaflet)
             (mild AS=軽度大動脈狭窄)
   左室壁肥厚なし 左室拡大認めず
   IVC拡張なし 呼吸変動あり 右心系負荷所見なし
    (IVC=inferior vena cava=下大静脈) 

 受検して結果を聞くまでの何となく不安な気持ち、そして明確な結果を知ったときの心境は下に近いヵ。
   見し夢を 獏の餌食となすからに 心も晴れし曙の空

2024年5月14日火曜日

PCの寿命が尽きた、段ボール箱スピーカー、女子ラグビー

 10年間ほど使用していたノートPCの寿命が尽きた。以前より微かな不具合はあったが気にしないようにしていた。しかし起動時にモニターに何も映らなくなり、セーフモード起動や回復モードにして立ち上げても修復できず、使用年数も長いことから使用を諦めた。分解してSSDやHDD、メモリーは取り外して再利用することとし、Microsoftアカウントでの登録も削除した。
 LANDISKにてデータは管理しているし、使用しているPCはデータ共有の3台を基本としているので失われたデータは何もないが、自室で使用しているメインPCが無くなるのは不便である。すぐに新規購入を決め、PC選定作業に入り、結局はマウスコンピューターから幾つかの候補を選定し、ダイレクトショップで相談した。オーバースペックのところはあるが、ダイレクトショップならではのC/Pの良いPCを紹介され発注した。価格は税込みで124,800円。当初購入候補にあげていたものと似たような価格であるがスペック的にはかなり上回っている。
 3日後に受取りに行き、まずはMicrosoftアカウントよりOffice2021をDLしてインストール。以前との環境を同じくするためにかなりの数のアプリやドライバーを入れる。それらの環境を整えるのに2日要した。現在、極めて快調。

 スピーカーユニットLR1セットが余っていたので、遊びのつもりで段ボール製エンクロージャのスピーカーを作った。セットで680円のキットで、使用するスピーカーは評価の高いZ-MODENA。
 期待以上の音が出た。正直びっくり。思うに、エンクロージャがよく設計されているのではなくスピーカーユニットが素晴らしいのであろう。そもそもセットで1万円以上のユニットを段ボールエンクロージャに組み込むこと自体がアンバランスである。アンプも眠っていた安価なFOASTEX AP05をこのスピーカーに結びつけた。

 早稲田大学ラグビー蹴球部女子部の初めての公式試合があった。7人制の「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2024 昇格大会」。5月11日プール戦2試合を経て翌日は順位決定トーナメント戦4試合。計6試合の結果は1勝5敗(うち零敗は2試合)で、9チーム中8位、合計5T5G。トライ&ゴールキックはすべて4番岡本美優選手。全試合YouTubeで観戦し、5番寺谷芽生選手が15人制でいうとFWD/CTB的な役割で、岡本選手がSH/SO的な役割でありトライゲッター。二人が核となるチームである。両選手はチャレンジチームのメンバーにも選ばれており、これからも楽しみである。
 全体的にはまだまだ荒削りであり、悪く言えば全体的にまだボールに戯れている感もあるしハンドリングもまだまだだし、反則も多いし、チームとしての構成と働きが未熟。でも早稲田の赤黒のユニフォームの女子ラグビーはとても新鮮でこれからのチーム力向上に期待しよう。

2024年5月1日水曜日

夏の準備、年齢の重り、心臓の検査

 暑くなってきた。地方によってはもう夏日を迎えているし、春日部でも薫風の春を過ぎたと体感している。これからの梅雨や夏を控えて家の中の床に雑巾をかけて清掃・ワックスを行った。床に触れる足裏のさらりとする感触が心地よい。
 全室4台のエアコン冷房試運転による稼働確認を行った。冷たい風はやはり寒い。

 一年が経過することの早さを感じ、今年の残りは7か月を切ったと思うと、すぐに76歳を迎えるような気もしてしまう。生き急いでいるわけではないが、変化の乏しい、同じ事を繰り返しているせいなのか年齢を重ねると月日の進み方が早いと感じる。若いときはこのような時の進みを意識することは少なかったような気がする。結婚して今年10月で満50年、息子が50歳近くにもなり、娘が40代半ばとなり感慨深いものがある。娘の娘は中学3年で、以前のように安易にハグすることに躊躇いを覚え、一抹の寂しさを覚える。娘の息子は運転免許を取り、我が家の車を使う頻度が高くなり、彼は恋人を乗せたり、バイトに出かけたりと走行距離が一気に伸長している。

 4月30日、市立医療センターへ行く。この日は心エコーと冠動脈CT撮影。身体的には何も異変を感じていないので予防検査の意味が濃い。
 心エコーは3回目、CT撮影は初めてで、受付を済ませた音の移動はすべて車椅子であり、車椅子で病院内を移動するのはこれで2回目。前回は20年ほど前になろうか、多分尿管結石で病院に飛び込んだときだったような記憶がある。
 CT撮影のために事前に右腕に注射針を刺した医師が研修医で一抹の不安もよぎった。案の定といっては言い過ぎだが、針とチューブをコネクトするタイミングがずれてしまい注射針付近の腕の上に血液が垂れ流れ、次にはチューブ末端を開放したままで栓をするのを忘れたようで、待機する部屋のベッド上に血液がA4サイズ弱並に広がった。予約表などが入ったクリアファイルも血で赤くなり交換となり、注射針を固定するテープの張り方が雑で、全体的に集中力欠如というか注意力散漫というかこの若い女性研修医の将来に憂いを覚える。が、看護スタッフとのやりとりには悪びれずあっけらかんとしていたところはこの人の長所でもあるかもしれない。
 20分ほどの心エコーでは途中で短時間眠りに入った。担当して下さった女性が感じのいい人であった。雑談も少し交わし、また車椅子で移動。
 外来診療明細表を確認するとCT撮影は16列以上64列未満マルチスタイラス型機器とあり、Siemens の装置であった。現在の高性能機器は64列があるらしいのでこの日の装置は中程度の性能のものヵ。造影剤(イオプロミド370注シリンジ80mL「BYL」)を注入するときには、腕に温度の低い流入を感じ、微かに体内に変化を覚え、一時的には肛門付近が暖かくなったことを感じ、それ以外には格段何事もなく撮影は5分ほどで完了した。脈拍を下げるための薬も服用していないということで終了後は上半身を着がえてからすぐに病院を出た。何も異常もなかったのでこういうことなら車で来ても良かったかと思うがそれは結果的に思うことで、やはり車は駄目であろう。
 この日の診療点数は心エコーで880点、CT撮影に計2506点だった。意外にも安価。
 心エコー、冠動脈CT撮影の結果は20日となる。

 帰宅途中にスーパーに立ち寄り日本酒と肴を購入し、帰宅後は風呂に入ってからビール・日本酒と続け、300mlの日本酒では量が足りず焼酎を追加して飲む。そして爆睡。これを書いている今日はいつもより4時間ほど早い5時に起床した。

2024年4月29日月曜日

キーボード、変哲のない日々、小説2冊

 16日にCASIOの光ナビゲーションキーボード(LK-530)を購入。連れ合いが何かやりたいというので最初はAKAI EWIをどうかと思ったが気管支喘息の診察を定期的に受けているので、少し吹かしてみてすぐに無理と分かった。自分と同じで音楽の素養があるでもない、でも何かやりたいと言うことでこのキーボードを推薦してみた。右手でメロディーを弾きたいという気持ちになり、以降、彼女は毎日練習をしている。光ナビゲーションを参考にして音階と運指を大きな字で書いて提供し、毎日面白がっている。ポピュラーな曲も2つDL購入しインストールした。今取り組んでいる曲をまともに弾けるようになるには1年はかかるかもしれない。
 本人が面白がっているのでそれでよし。頼まれればアシストはするが、こちらから口出しは一切しないことにしている。

 自分はというと、毎日が何の変哲もない日々。変化があるとすれば、EWIを練習してカラオケ演奏して録音する曲が少しずつ増えていること。以前より量はかなり減ったが本は読み続けていること。料理を面白がっていること-レシピがないと作れないことは相変わらずだが。
 鉱山を中心としたもう一つのブログ、終わらせようとする気持ちはあれどまたまたサボリ状態に入っている。下書きを少し書いては放ってしまう、この繰り返し。

 <ジュンパ=ラヒリ 『思い出すこと』(新潮クレストブックス、2023年)>:新鮮でいて不思議な世界をも感じ、そして作者の才能の深さに感じ入った。作家として序文を記し、詩人としての物語に入り込み、同時に研究者(批評家)として俯瞰する。自分自身の過去を(間接的には現在を)語る方法にこのような手段-詩という形はとらわれなくとも-があることに気づかせてくれた。自分自身への距離の取り方、視点の高さ、視座をどのように置くのか、物語そのものよりも物語をどう構成するのかということに発見があった。

 <赤松利市 『隅田川心中』(双葉文庫、2024年/初刊2021年)>:帯と裏表紙からの引用;「シニア世代の暴走恋愛小説」、「生々しく描いた傑作性愛小説」。
 愚かな64歳の男と、怠惰な父親に生活費を弄ばれる貧相な肉体の女と、反社会の中で己を誇示する非合法的存在の男と、・・・要は現実的には自分とは異質な世界の中で生きている人たちの物語。不快感の残る物語の世界。放っておかれた魚の腐りかけた臭い、汚れたゴミが風に吹かれている通りを歩く清潔感に欠ける男と女、そのような印象が強いのは著者の作品から受ける共通した感覚。もう読まないことにする。

2024年4月17日水曜日

病院へ、検査予約

 15日、2017年12月以来の春日部市立医療センター循環器内科に行った。4週間毎に通院している医院の医師の紹介状を持参して、ほぼ6年半ぶりとなる、前回と同じ女医さんの心雑音の診察を受ける。前回に比して高音が聞こえもするし、少しは進んでいるようだとの診断の下、軽度ではあるけれどエコー検査をしようとのこと、ついでにCT検査もやりますかと問われそれも受けることとした。今月30日にエコーとCTの検査を行い、その結果は翌月の20日となり、両者を予約しておいた。
 心配性の自分のことだから、以前だと少しは不安な心境に陥るのであるが、年齢を重ねたことによる諦めなのか、はたまた考えても自分で結論を出せないものは考えないこととすると言う知恵が備わったのか、淡淡としている。自覚症状もないし、まぁ自身の身体のメカニックの予防保全だと思っている。何か補修が必要になったら、パーツ交換ということは出来ないからそれなりの対処をするしかないであろう。
 病院は混んでいる。循環器内科はさほど混んでおらず20-30分待って診察に入ったが、受付から担当医が決まるまで45分くらいで、会計に30分ほど待たされる。来院している人の数も多いが、スタッフの女性たちの多忙さは異常とも感じた。的確には言えないけれど何か非効率的で、患者の数とスタッフの数がアンマッチであるように見えた。結局は患者を待たせることになるのだが、これが通常のことならば対処すべきであろう。

 猪苗代のBaNaのログハウスからLINEが来た。会津で花見をやっている6人が集まっての酒宴。飲んでいる銘酒を数本見せられ、もしかしたらこっちに届くかもしれないからそっちのスマホの上から注いでみてというが応じてくれなかった。

2024年4月11日木曜日

75th誕生日、アウトレットモール、小説3冊

 誕生日となった。75歳にもなってしまった。今年は友人二人が癌で亡くなった。四捨五入すると80歳と言ったら、SuJuがそうじゃない、四捨五入すると棺桶というのが正しいと寂しきことを口にした。否が応でも残り少なくなってきている(であろう)人生を思う。

 5年ぶり、否、もっと久しぶりになるか、越谷レイクタウンのアウトレットモールに行った。近くではジーンズもまともに購入できないし、ついでに家の近くを歩くのはつまらないのでモール内をぶらぶらと歩こうかと車を走らせた。EDWINでブーツカットのジーンズとジャージジーンズを購入。連れ合いは探しに探してカジュアルのベストを買った。次はレイクタウン“風”か“森”の中を疲れない程度に散歩代わりにあるくのも良いかも。

 <逢坂冬馬 『歌われなかった海賊へ』(早川書房、2023年)>:1944年、ナチ体制下のドイツにおいて、ナチスに反感・抵抗する、グループとしては緩い規制のエーデルヴァイス海賊団。14~18歳の若者たちの体制抵抗活動の実存を初めて知った。親との確執、親をナチスに殺された少年の憤り、同性愛等々を後背としてナチへの抵抗をするエーデルヴァイス海賊団。それを語るのはかつて共に活動しバカと自称したフランツ。生きるために体制に迎合し、抵抗する者たちの歌を歌わず、戦後になって事実を暴くフランツに悪意を向ける庶民。
 エーデルヴァイス海賊団の心情は以下。すなわち、「私たちはそんなんじゃないのに、どうしてみんな、自分の都合で分かろうとするんだろうね」、「筋を違えたまま与えられる理解のまなざしほど、ぬるぬるして気持ち悪いものはない。私はあなたを分かっているよ、と頭上から注がれる声は、優しさに満ちているけれど、だからこそ反吐がでる」、「単色のペンキで塗りつぶそうとする」。・・・当時のナチ収容所では下向きの三角形を与えて区分した。黒=犯罪者、赤=共産主義者、紫=宗教的異端者、ピンク=同性愛者、上向きの黄色の三角形を重ねるのはユダヤ人。

 <永井義雄 『秘剣の名医〈16〉蘭方検死医 沢村伊織』(コスミック・時代文庫、2024年)>:売春をする女が連続して殺され胆が切り取られる。検死を依頼された伊織が謎ときに動き下手人を捕まえる。いつものように楽しめる永井さんの江戸時代小説。

 <藤澤清造 『根津権現裏』(新潮文庫、2011年)>:没後弟子を自称する西村賢太のおかげで広く知られるようになった1922年初刊の小説。金はなく、女には去られ、足に骨髄炎の病、同郷の友人の急死。我が身の不幸に悲嘆し嘆息が重なる。途中から読むのに堪えられなくなった。小説の面白さは芥川賞受賞という金字塔を立てた西村の方がはるかに優っている。

2024年4月4日木曜日

免許証更新、市役所

 車の運転免許証更新にすぐ近くの警察署に行った。視力検査も写真撮影も極めて短時間に終わり、孔の空けられた旧免許証、新免許証を受け取り、両者の自分の写真を見比べ、やはり年齢を重ねた顔写真ではあると感じ入ってしまう。まだまともに運転できるので、数日経てば75歳になるがこの免許証は手放せない。
 前日には車の半年点検にディーラーに行った。2年半の間でこの車を運転した総走行距離は4,200km強で極めて少ない。娘の長男がもうすぐに免許を取りそうで、この車を貸すことも多くなるだろうから、そうなれば走行距離も延びるであろう。

 数日前に連れ合いの国民健康保険証取得のために市役所で手続きおよび新規発行をしてもらった。新しくなった市役所を訪れるのはこれで2度目。前回は役所内の暗さを感じたがそれは調光メガネのせいなのかもしれないと今回は調光でないノーマルなメガネをかけていった。が、やはり同様に暗さを感じた。職員の人たちは採光のある窓際の、そして照明も明るい場所にデスクを構えているが、サービスを受ける側の訪問者側は壁際に沿っていて照明も暗い。通路は広くなっていいのだがそれが無駄に広いという思いもするし、何故だろう、テキパキとした明るい職場という印象は全く受けなかった。

2024年3月29日金曜日

友人と北千住および上野、読んだ本のメモ

 一昨日は友人のPC新規購入と設置フォロー。続いてこの日はメール関連フォローで北千住へ。WiFiフリーのコーヒー店を探すのに約1時間。その後約4時間を過ごす。前日の事前調査というか確認、およびその後の再確認でよく分かったことは、あるドメインのメールはwindows11の最新outolookに絡めると不具合が生じる。だから新しいoutolookへの導入要求がきても絶対に応じてはいけないこと。応じてしまうとwindows11標準メールの設定が壊れてしまいメールが出来なくなる。また、あるスマホの機種はLINEに適応できない。適応できないという表示は出ずに勝手に友だちが登録されたりするが実際は友だち登録はできないし、そもそもLINEが機能しない。パソコン・スマホ関連は面倒であることを改めて認識させられた。
 前段までは20日に書いたメモ。その1週間後に今度は上野で6人で飲む(といっても一人は宗教上の理由でいつものようにアルコールは飲まない)。前回の上野での飲み会と同様に五反野でSuJuと二次会。五反野は、これで3度目。店主とも少しは顔馴染みになったようである。昔の深酔いのせいで、最近の外飲みではwhooで居場所を監視(?)されている。そのせいでもないが、以前のように深夜の帰宅、電車乗り越しはないのであるが。

 <ヘザー・モリス 『アウシュヴィッツのタトゥー係』(双葉文庫、2024年/初刊2019年)>:フィクションとあるが、背景には忌まわしいアウシュヴィッツとビルケナウを往復する、強制収容されたユダヤ人に番号のタトゥーを入れるユダヤ人の物語。ドイツ人監督者との日常的接触、知り合ったユダヤ人女性との恋愛(戦後解放されてから結婚する)、死にゆく知人や多くのユダヤ人たち。いままで読んだユダヤ人ホロコースト関連のテキストとは趣の異なる内容であることに違和感のような思いも感じ、それでいてあの非道な歴史にどうしようもない憤りを思う。悲劇の歴史が何度も何度も世に現れるのはその本質は何も解決されていないし今も繰り返されているからに過ぎない。人間というのは豊かな感情と豊富な知識をもった残虐な動物集団でしかないのであろう。このような本を読むといつもやるせない気持ちになり、結局はこの世の中において、自分はそれらにどう向き合ってどう自分を見つめるのかということしか出来ないのではないかと思ってしまう。何も歴史的な出来事や今現在起きている世界の出来事だけではなく、国内の政治や、もっと卑近な様様な事象に対しても同じ事が言えるのではないだろうかと自問する。

 <シャーウッド・アンダーソン 『ワインズバーグ、オハイオ』(新潮文庫、2018年)>:「マーク・トウェインとヘミングウェイを架橋した名作、アメリカ文学屈指の重要作品を40年ぶりに新訳」と帯に書かれているがどうも倦きてくる地域に生きている人々の生活を淡淡と描くが、それがどうにも退屈である。描かれる人たちに共感もなく、近づきたくもなく、言ってみれば距離感を保って眺めるだけで、そのような人たちの個々の生活事情や暮らしてきた歴史には興味もない。でも、ウィスキーを嘗めながら心の中を空っぽにして文章を追えば柔らかな人間模様に触れて落ち着く時間もあった。

 <西村賢太 『雨滴は続く』(文藝春秋、2022年)>:「”最後の私小説作家”が、生命を賭して紡ぎ続けた畢生の大作1000枚」とあり、本作は『文學界』に2016年12月号から2022年4月号まで、不定期に連作され、最終回執筆途中にタクシー内で急逝した未完の遺作。ワンパターンの破滅的な身勝手な作者の独白と行動、それはひとえに藤澤淸造への祈りであり依存であり崇拝である。

 <森永卓郎 『ザイム真理教』(三五館シンシャ、2023年)>:財務省への批判。それは恰もザイム真理教と化したオカルト宗教のように、末端の人間から取れるものは取り、教団の中枢にいる幹部たちは贅を尽し、そこそこの知識人たちはザイム真理教のお題目を無批判に流布する、という日本経済に警鐘を鳴らす分かりやすい現在の日本経済テキスト。

 <辻堂魁 『雇足軽八州御用』(詳伝社、2023年)>:越後宇潟藩の竹本長吉(おさきち)は連座で故郷を放され、妻子を越後に残して江戸に来て関八州取締出役の雇足軽として八州を巡る。その先々での出来事に向かい合いながら人と接し、勤めを終えた1年後には越後に帰ることができた。江戸期の歴史用語がルビを振られて沢山出てきて辞書で確認しながら読むのが楽しめる。情景描写が多く、登場人物の内面描写が少しばかり欠けていると感じる。また、読点が多くて煩わしく、読むリズムが狂う。さらに形容詞の被せ方に違和感を覚えることも多かった。

2024年3月17日日曜日

雑記

 勤めていた会社の健康保険資格の喪失通知が届いた。4月の誕生日以降は後期高齢者医療制度の対象者となる。併せて連れ合いは来年の1月末まで国民健康保険に加入せねばならない。
 一方、免許証更新の通知も来た。否が応でも75歳の年齢を意識してしまう。4月に入って暫くするとその年齢に達してしまう。

 連れ合いの国民健康保険加入手続きの諸条件(受付可能時期、現保険資格喪失予定通知の有効性可否など)を確認しに市役所に行った。新しくなった春日部市役所に初めて入った。順番を待っている間に職員の人たちを眺めていると何故こんなに多勢の人たちが働いているのだろう、女性が多いなと思った。人数の多さは、業務量が多いのか、あるいは人数に合わせて仕事を増やしてしまってそれでまた人が増えたのかな、と皮肉っぽい思いが浮かんだ。

 というところへ後期高齢者医療被保険者証が届いた。改めて自分の年齢の重りを感じてしまう。

 ここ1週間ほどオーディオ関連で時間を潰した。ToppingのD10を購入し(安価になったD10Sではなく意識して旧タイプの高い方を購入)、合計4台となったDACとアンプなどとの組み合わせをいろいろと変えて遊んだ。安価なToppingではあるが性能はかなり高い。

 昔アイルランドのケルト音楽に夢中になっていた時期があり、ラ・ルー(Lá Lugh)のCDも2枚持っている。アルバムSenex Puerの中のA Bruxaが特に好きで何度も聴いた。最近また読書するときにアイルランドのエニスやサンフランシスコから直接購入したケルト音楽を流すことが多くなり、ラ・ルーの最近のアルバムはあるのかなとネットで調べたらエスナ・ニ・ウーラコン(Eithne Ní Uallacháin)さんが1999年に42歳の若さでなくなっていた。彼女が亡くなってから発売されたCDを偶然に見つけ、その中古CDをイギリスから購入した(Amazon)。タイトルはBilingua。じっくりと彼女の歌や演奏を楽しもう。

 高校同窓会の旅行や飲み会で一緒だったAkNaが11日に亡くなった。咽頭癌だったらしい。食道癌と聞いていたので転移したのかもしれない。昨年の8月にはISaと会津若松で普通に飲んでいたらしいので進行が早かったのかもしれない。今年にはいりTaYuに続いて二人がいなくなってしまった。複雑な気持ちになり寂しい。

 Norha Jonesの新アルバムを間違って2セット購入してしまった。恐らくは酔っていたときに予約発注をし、そのことをすっかり忘れてしまい白面の時に好きな人であるのでまた予約してしまったようである。しようがないので1セットは未開封のプレミアムをつけてメルカリに出品しよう。

 KiHiさんと久しぶりに新橋で会う。7~8年ぶりになろうか。1月に亡くなったTaYuとの親交があり3人で皇居ランを始めたのは2009年5月16日(土)。終了後3人で仲御徒町味舟で飲んだ。その味舟も閉店している。2010年5月30日(日)には山中湖ロードレースでも一緒に走っている。その2ヶ月前の2010年3月20日(土)にはINo女子が皇居ランに加わり、月一の定例会で何度も皇居を周回している。皇居ランが中止になっても恒例としていた忘年会を味舟で催していたことが懐かしい。

2024年3月14日木曜日

似てる人、漫画

 ブラザートムがドラマに登場すると友人のSuJuが頭に浮かぶ。同様に渡辺哲が出てくるとKoSaが浮かんでくる。財前直見さんがテレビ画面に見るとタカアンドトシのトシに繋がる。
 古い話になるが父はドラマ「事件記者」の清村耕次に似ているとよく言われていた。20歳頃のオレはバイト先の人に、“はしだのりひことシューベルツ”の井上博に似ていると言われたことがある。自分ではフ~ンそうかなと思っていた。
 上地雄輔とつるの剛士の区別が今も出来ないが、連れ合いははっきりと違うじゃないと呆れているが、先日友人と飲んでいたら彼も又オレと同じで二人を見分けることができないと言っていた。それを聞いて妙に嬉しかった。ある女優がドラマに出てきて今泉清さんの元妻だと口にすると、連れ合いからそれは違うと良く言われる、涼風真世が出てくると彼女もまた彼の元妻だと言う。これは正しいのだが、要は認識ができないのである。

 <星野之宣 『宗像教授世界篇 01』(小学館、2023年)><星野之宣 『宗像教授世界篇 02』(小学館、2023年)>:各地の遺跡をWikipedia 等で調べながら頁を追うのは楽しいし、地球上の歴史的事象を日本のそれに繋げることも面白い。しかし2冊で飽きたので続刊は恐らく手に取らない。

2024年2月28日水曜日

ワイン、漫画、尾崎翠

 テレビのドラマで、若い素敵な女性と普通の男性のカップルがレストランで食事をしていて,赤ワイン-こういうシーンではまず白ワインは出てこないのは何故だろう-を飲んでいた。そのシーンを思い出して急にワインを飲みたくなり、散髪に行った帰りに赤ワインを買ってきた。いつもの様にアルコール入り蒲萄ジュースと嘯いて昼食時に1本を空けた。眠くなって一眠りをして目が覚めたらどうも体調が芳しくない。勢いづいて日本酒4合瓶やワイン1本を空ける年齢ではなくなった、気持ちと肉体のバランスが崩れていることをここでも再認識させられた。かつてはウィスキーのボトル1本も空けた日があったというのに。

 <さわぐちけいすけ 『数学教師もげきはじめの考察』(Amazon 無料Kindle版、2023年)>:数学教師とあるので数学関連薀蓄漫画かと思ったら一般世間へ呈する主張であった。

 <尾﨑翠 『第七官界彷徨 琉璃玉の耳輪 他4篇』(岩波文庫、2014年/初出は別記)>:江戸川乱歩賞受賞作『蒼天の鳥』(三上幸四郎)で著者の名を知り購入。「第七官界彷徨」は1931(昭和6)年に雑誌に掲載された作品で、著者35歳の時である。「琉璃玉の耳輪」は1927(同2)年に書かれた映画脚本の草稿で1998年に全集に載せられた。他の4篇は「歩行」(1931年初出-以下同)、「こおろぎ嬢」(1932年)、「地下室アントンの一夜」(1932年)、「アップルパイの午後」(1928年)。
 一つの作品そのものの構成やストーリー展開として読むには少しばかり疲労を覚える。『第七官界彷徨』は秀作と言えようが、他の小説は昭和初期の時代を探る際のテキストとして読むには面白いであろうと思うだけである。
 それよりも、川崎賢子の解説に興味を惹かれた。尾﨑は日本女子大(中退)の寮の同室であった年下の松下文子と終生親交を重ね、「琉璃玉の耳輪」は松下の遺族が保管していたものである。松下は旭川高女の同期生であった井上みよりとも親しく交際していた。松下と井上も生涯親交していた。井上は東京女子師範(現お茶の水女子大)に進学し(中退)、同郷の阿部浅吉と結婚し、二人の間に誕生したのが安部公房。若かりしころに安部の小説をよく読んでいたので、この人たちの繋がりには深く興味を抱いた。よりみは安部ヨリミの名で『スフィンクスは笑う』(1924-大正13年)、翌年には阿部頼実の名で『光に背く』(1925年)を出版している。安部公房のwikipediaには、よりみは『スフィンクスは笑う』を上梓以後は一切の筆を折ったとあるが恐らくこの記事は誤りであろう。『光に背く』をネットで調べようとしたが図書館や古書店を含めても何も出てこなかった。ただ出版した洪文社は大正13年頃には確かに実在していた。

2024年2月17日土曜日

国力低下

 Japan as No.1と謳歌されていた時代はとうに昔の、黴くさい思い出話でしかない。今日(2/16)の朝刊一面の見出は「日本GDP 4位に転落」である。「内需の2本柱である個人消費と設備投資がともに弱く、成長の足を引っ張っ」て、「55年振りに日独が逆転した」。「ドイツは日本の人口の3分の2しかない」(あわせて書けば平均労働時間も日本の約80%である)のに「00年~22年の実質成長率はドイツが平均1.2%なのに対し、日本は0.7%にとどま」り、「円安が最後の決定だ」となって日本の国力低下は顕著の数字となって表れた。(以上、括弧内は新聞記事からの引用。)
 世界に冠たる電気商品はなくなり、先日のラスベガスの見本市で出展されていたLG電子の透明有機テレビの写真には驚いた。昔、我が家にもあったソニー・トリニトロン、亀山ブランド液晶テレビが懐かしい。手頃な価格のオーディオは中国ブランドだし、国内ブランドもmade in XXのXXにはマレーシアなどの国名が表示されている。
 日本の賃金水準は低く、株価がバブル期の値に並んでも一般世間の生活の豊かさには繋がるものではないだろう。GDPの低下は政治(家)の劣化度合いに比例しているような気がしてならない。ま、「貧すれば鈍する」ということなのかもしれない。否、鈍しているから貧するとも言える。

2024年2月15日木曜日

本と漫画

 <渡辺京二 『原発とジャングル』(晶文社、2018年)>:数箇所を引用する。
 「自然過程とは詮じつめると、文明的諸装置の出現・進化は必然であり、いったん獲得した文明的利便は放棄できないということだろう。しかし、原発というエネルギー発生装置が出現したのは人類史の必然=自然過程だったとしても、放射性物質を他のエネルギー源に替えることはわれわれ人間の自由な選択に属する」
 「国家に依存することを知らず、従って支配されることをいまだ知らぬ民は、王侯貴族のそれとは全く異なる個の品位と威厳を保っているのだ。(中略) 個の品位と威厳の喪失、その替わりとしての軽躁さ、けたたましさ、抑制のなさ(後略)」
 「集めた本は私の精神的戦跡なのだ。まだ読めないでいるものも含めてそうなのだ。ということは、私の第二の自己のようなものだろうか。蔵書は未読のもの含め私の自画像なのか。だとすれば、これは物欲じゃなく自己へのとらわれということになる。物欲に劣らずくだらない」・・・”集めた本”を”読んだ本”と置き換え、”蔵書”を”積ん読状態の本”と言い換えれば、この言葉には深く首肯する。
 「天皇の象徴という位置づけは、国家運営に必要な儀礼に関ることだと私は理解している」、と著者は書くが、これは抑制した表現ではなかろうか、否、心底そう捉えているのか疑問を感じる。
 「安倍にせよ名だたる右翼の学識者にせよ、天皇はただ存在していればよいので、主体性を発揮して民のもとへ赴くなどその存立意義からの逸脱なのである。(改行)これに反して、天皇を自分たちの苦難をわがこととして嘆いて下さる神聖な存在として受け取ったのは大衆である。これは戦前からすでにそうであった。竹山道雄や久野収は、神聖にして国民の守護者たる天皇を、明治国家の設計者たちが創った「顕教」的天皇、権力支配の道具にすぎぬ天皇を「密教」的天皇とし、昭和ファシズムの騒乱を顕教的天皇による密教的天皇征伐としてとらえた。何ということだ。戦後70年たつのに、基本的構図は変わっていないのだ」

 <手塚治虫 『手塚治虫の歴史教室』(いそっぷ社、2024年)>:懐かしい。そして解説を含めて楽しめた。ただ、「弁慶」「後藤又兵衛」「風之進がんばる」は、自分が5~6歳である1954~1955年に『おもしろブック』連載の漫画であり、いま初めて読んだ。そもそも『おもしろブック』に触れたことがあるのだろうか。
 時間的に余裕があれば『火の鳥』『三つ目がとおる』『アドルフに告ぐ』全巻を通読して読みたいのだが、そのようなことがくることはなかろう。

2024年2月9日金曜日

来季の早稲田ラグビー、渡辺京二の本を読んで

 来季の早稲田ラグビーの主将・副将は予想通りに佐藤健次・宮尾昌典に決まった。大田尾監督は4期目となる。とにもかくにもFWDが強くなって欲しい。
 佐藤と矢崎が日本代表トレーニングスコッドに選ばれた。また、来季新入学の服部亮太が高校代表となってイタリアで戦う。今季SOが固定できなかった(後半は久富になったが)ので来季はどうなるのだろう、野中がやるのか、なんて思うこともあったが新1年の服部が活躍するのかもしれない。

 2月6日、高校同窓10数名が上野に集まってTaYuを偲ぶ会を開催。どうしても自分の余命がどれくらいあるのかと思うときがある。こうやって残りの人生に馴染んでいくのだろう。

 <渡辺京二 『死民と日常 -私の水俣病闘争』(弦書房、2017年)>:副題の「私の水俣病闘争」を見ずに購入したが故に内容が50年強も前の1970年代に書かれていたことに少し驚きもした。また、著者が40代に書いていた文章であるという事実から、自分の40代の知識・教養・表現技術の低レベルさに愕然とした。さらに、1970年~72年は自分は大学生であり、水俣病をはじめとする公害や世の中全般への自分の向き合い方の薄っぺらさを自覚させられた。当時は現実に生じていた社会問題や政治的事象、三島由紀夫自死事件に対してはより本質的な別な言い方をすれば抽象的な捉え方をしていた。日記をめくり直してもそのような表現が多い。季刊雑誌『人間として』を定期購読していて、そこに掲載されていた人たちの作品を読んでいた。例えば、柴田翔・高橋和巳・真継伸彦等々。
 本書を読むことによって渡辺京二に触れ、彼が水俣病闘争に距離を置くようになった理由は以前より深く分かった(ような気がしている)。

2024年1月28日日曜日

昼飲み、通院、本2冊

 24日、自分を含む3人で北千住にて昼飲み。カラオケを含む3軒を梯子するのはいつものこと。平日の真っ昼間というのに1軒目の店は満員状態。若い女性二人が後ろで飲んでいた。2軒目はガラガラで夕方になるにつれて混み出してきた。重ねて注文した千住の葱料理が美味かった、特に葱鍋が。

 26日、定期的な通院。診察を待つ人が通常よりは極端に少なかった。担当医は4月で引退するとのことだったので新たな患者の診察がなかったのかなと想像。友人である医師が個人経営の病院を承継し引退した後は暇を持て余していると口に出したら、苦笑いのような表情をしていた。 3ヶ月後にPSA検査を予約。

 <東野圭吾 『あなたが誰かを殺した』(講談社、2023年)>:別荘地での連続殺人。上手い! 読んでいて阿部寛が演じる加賀恭一郎の映像がチラチラと頭に浮かんでは消える。これがどうにも邪魔で頭から追い払っては本の中の世界に入り込もうと努めるときがあった。

 <吉村武彦他、編 『シリーズ古代史をひらく 文字とことば 文字文化の始まり』(岩波書店、2020年)>:「<文字とことば>への招待」「文字の定着と古代の社会」「新たな文字文化の始まり」「日本のことばと漢字との出会い」「世界の文字・リテラシーの歴史と古代日本」の論文と巻末の座談会から構成される。アカデミックな内容で且つ解りやすい。
 そもそも文字の前段階である、口から発する言葉はどのように形成されるのであろうか、その分野にも興味はあるが、難し過ぎるし、中途半端な知識を増やすだけなので自重しよう。

2024年1月27日土曜日

高齢者講習、スピーカーエンクロージャ製作

 自動車運転の高齢者講習を受講。男性10人と女性2人がいた。近々75歳になる人たちで、自分のことはさておいて、男性は全員とも結構な老人に見えた。オレも傍目から見るとこういう年寄に見えるのかと思い、自分の年齢を再認識せねばなるまいと自戒。
 最初は実車運転指導、特に注意や助言は受けなかった。DVDによる安全運転の講義を視聴し、最後に検査器による適正指導。この検査は、まずは夜間視力で、明るい光を見てから暗くしての視力順応視力検査。18秒で認識でき、この結果の早さにはとても驚かれた。他の人は50秒台で、一人は1分以内で確認できなかった模様である。動体視力は10歳ほど下の年齢に該当するもので、これまた素晴らしいと言われた。次は視野検査で平均150度前後だそうだが171度あった。静止視力は免許更新基準をキチンとクリアしている値だった。3年後にはまた講習を受けることになる。
 約2時間を費やし、6450円の手数料を支払い、「高齢者講習修了修了証明書」を受け取り、完了。3月半ばになればすぐ近くにある警察署で免許更新をしよう。

 新しいスピーカーエンクロージャを製作。音工房Zから購入して作るスピーカーはこれで4セット目。2ウェイが1セット、フルレンジスピーカーが3セット、他にスーパーツイターが2セット。
 今回作ったのはZ600-Cannonball 100なる砲弾型の点音エンクロージャ。以前塩ビパイプで自作エンクロージャからの音は高音がきつすぎ、且つ外見が美しくなかったこと、そしてこの砲弾型にとても魅力を感じていたことでキットを購入して組み立てた。価格は税込みで39,800円。スピーカーはZ-Modenaを転用。同じZ-Modena を組み入れた点音スピーカーはZ600-Modena もあって、エンクロージャの違いによる音の違いを聞いてみるのも楽しみとしていた。
 製作は各パーツのアライメント精度に留意すればさほど難しくはない。吸音材にはミクロンウールを使用し、いつもと同じで塗装は施さずに蜜蝋を塗り込む。
 音は素晴らしい、Z600-Modenaよりも音の圧力があり広がりもあると瞬間的に感じた。
 デスクテーブル上に置いてあるスピーカーの写真を撮ると、改めて雑然としていることを思い知らされる。かと言って自分が自由勝手に振る舞える場所は我が家にはもうない。



2024年1月17日水曜日

雑記、ミステリー1冊

 ラグビー大学選手権、帝京が明治に快勝して3連覇。結果のみを確認してオンデマンド観戦はしていない。一方、高校ラグビーの決勝はしっかりと見た。桐蔭vs東福岡戦はレベルの高い素晴らしい試合だった。
 早稲田の来季主将は佐藤健次と予想するがどうだろう。副将にはバック陣から選ぶと仮定すると守屋かな、宮尾かな。
 他のwebからの引用であるが、2024年新入部員は、田中健想(○桐蔭学園)、杉村利朗((東福岡)、西浦岳優(○東福岡)、服部亮太(○佐賀工業)、御厨丈(茗溪学園)、菊川迪(○報徳学園)。○は高校日本代表候補。FWD陣には体躯の大きい選手が入って欲しいが、多分来季もスクラムでは苦労するだろう。

 EWIで演奏した1960年代の古いゆっくりとした曲を連れ合いに強制的に聴かせた。厳しい言葉をサラッと口にされた、こわごわ鳴らしているような気がすると。実際メロディーをなぞるのに集中していて臆病な鳴らしかたになっている。それが自分でも分かるだけに「こわごわ」という言葉が刺さってきた。音楽に詳しいわけでもない彼女の言葉だけに余計に鋭く感じた。2曲とも意識を変えて録音し直した。

 1Fのサブモニターの不調を書いた。その後、見落としのテレビドラマがあってPCのTver映像をテレビにHDMI接続して見た。あれっサブモニターでは接続できなかったのにテレビでは正常なんだ、えっなんでと思い以前使っていた別のモニターをつないでみたら正常に拡張デュアルモニターで機能する。このモニターでもダメだったのに何故に復帰できたのか、訳が分からない。以前と変えたのはHDMIケーブルなのでこれが原因だったのか、否、そんなことはない。前のケーブルは他のPCで異常がなかった。とにかく正常になった。繰り返す、訳が分からない。

 連れ合いが初めての腸内視鏡検査。ポリープを2箇所切除。憩室なる医学用語を初めて知った。便秘の生じやすい腸であるとも云われ、連れ合いはすっきりした様子。
 自分は28日毎の診察。数ヶ月ぶりにこれもまた定期的な採血。心臓の雑音は軽度であるがこれが一番留意することと前回と同じ事を言われた。

 <米澤穂信 『可燃物』(文藝春秋、2023年)>:2023年末の『このミス』と『週刊文春』第一位。5編からなる短編集。
 見つからない凶器、一致する目撃証言、バラバラに見つかるバラバラ遺体、連続放火-書名の短編、レストランでの立てこもり事件。どれも警察官がフィーチャーされている傑作。
 事件のジグソーパズルの一片一片は単純に組み合わさるようなのだが綺麗には当て嵌まらない。その当て嵌まらない理由を考え極め、最後に意外性の中で鮮やかにピタッと合さる。

2024年1月15日月曜日

友人TaYuが亡くなった

 親しい友人が亡くなった。
 彼と知り合ったのは同学年の高校同窓会が発足した1999年、新宿のチェーン店にてのこと。大学が同じで、さらにどちらもラグビーが大好きでもあり、それからは国立競技場や秩父宮などで一緒にラグビー観戦したことは数えきれず、新潟でも試合を楽しんだ。観戦後の酒、ション横での議論等々思い出は尽きない。
 ランニングを始めたのは彼の影響で、一時は彼の紹介で知り合った仲間と月一ペースで一緒に皇居を周回していたし、ランニング後には新橋/餃子の王将で会話を楽しんだ。
 一昨年2022年7月に食道癌が診断され闘病を続けていた。2011年4月にランニング中に心肺停止となり救急病院に運ばれたが奇跡的に回復していたので、今回も快癒することを希っていたが叶わなかった。
 最後に会ったのは2019年(あるいはその前年)の新年会。最後にメールのやりとりをしたのは昨年の12月22日。入院先からだった。昨日(1/13)ISaから電話があり、この日の朝に自宅で亡くなったことを知らされた。悲しいし、寂しい。

2024年1月10日水曜日

PCとの格闘

 1Fリビングで使用しているPCのサブモニターの調子がおかしくなったのは数ヶ月前で、症状は画面の明るさが10%レベルになり、明るさを調整すると再び暗くなってしまう。それまでは正常であったのに何が原因なのか分からずにそのまま使い続けていた。が、1週間ほど前からその明るさ調整も不調となり、最大の明るさにするとブラックアウトするようになり、とうとう何も表示されないことも頻発するようになった。対応するために読書の時間やEWI練習の時間を多く割いた。不満を吐き出したいが吐き出す相手は自分しかいないので黙々と調べるしかない。
 最初にやったのがケーブル交換、でもダメ。2F自室のPCに接続しているもう1台のサブモニターでも全く表示されない。モニターの接続ライトは点灯するが画面は真っ暗。この不調のモニターを別のPCに接続すると正常の動作をする。ネットでいろいろ調べ、PC本体の設定を確認しても気づくとところはなく、試してみればよいかと思う設定変更やドライバー更新もやってみたがすべてダメ。PCのOSはwindows11で、2Fはwindows10であり、その差なのかもしれない。あるいはwindowsの自動アップデートによるバージョン更新によるものなのかもしれない。
 次にやったのは、速度が遅くなり遊休化しているwindows10ノートをmiracast機能でサブモニター化すること。しかし1FのPCはmiracast非対応でありそれもダメ。次にSpacedeskをインストールしてやってみた。接続は出来るし、拡張モニターとしても使える。ノートPCは場所をとるがやむなしとしていたが如何せんマウスカーソルの移動が時々うまくいかない。
 最後にやったが、アンドロイドタブレットLenovo YogaをSpacedeskでサブモニター化すること。これは何の不具合もなく接続できている。難点は画面サイズが10.1インチで小さいこと。でもまあサブは拡張表示からのドラッグアンドドロップがメインなので良しとした。
 アンドロイド対応のサブモニターを購入すれば利便性は上がるがそこまでする気はない。1Fで使用していた以前のサブモニターは2FのセカンドPC専用のモニターとした。それまでは1台のサブモニターを切替て使用していたが、メインPCに専用のサブモニター、セカンドPCには専用モニターを装備することとなった。それまで使用していたモニター切替(HDMI切替)器は不要となってしまった。
 しかして1FのサブモニターHDMI接続は何が原因で不調となったのであろうか。ネットで調べ捲くったが解決策は見つかっていない。もしかしたらPCをクリーンインストールすれば良くなるかもしれないが、直る保証はないし、そこまでやる気力はない。PCは不安定ということをまたもや思い知らされた。1週間ほど格闘したであろうか。

 あまり使用していないiPad miniがある。フォトフレームとして使用してみようと思ったが、iOSは知らないことが多すぎて写真ファイルとwindowsからiPadに簡単には転送できない。Windows PCに接続ししても外部ディスクとして認識されない。iTuneは同期できるがwindowsのようにドラッグアンドドロップのような簡単操作とはいかない。iCloudを導入して同期させているがwindowsに比べて面倒。隋分前のことになるがiPodを長年使用していた。このときもiTuneとの同期なるシステムが面倒であり好きでなかった。で結局は数年前にAnyTransなるアプリを使用していたことを思いだし簡便な操作となった。

 年に1~2回はPC関連と格闘し時間を費やすことになるがこれも老化防止-正しくは老化拡大防止ヵ-に役立っているのかもしれない。

 運転免許更新に先だって後期高齢者の講習案内が来た。6,450円も(!)取られる。これって若者の免許取得者減少に伴って高齢者から金を奪い取ろうという策略なのかと勘ぐってしまう(勘ぐっている)。

2024年1月2日火曜日

2023年末の記録

 2023年に読んだ本は84冊。最後に読んだものは次の小説。
 <永井紗耶子 『華に影 令嬢は帝都に謎を追う』(双葉文庫、2021年/初刊2014年改題加筆修正)>:明治39年、帝都東京、成り上がりの男爵家の令嬢が帝大生の書生を供にして、伯爵家で開催された夜会での事件の謎ときを行う。病死とされた事件は実は毒殺事件で、そこには貴族間の策略、意に染まぬ結婚が虚栄の中で煌びやかに、少女漫画のように展開する。

 2023年一年間で歩いた歩数は1,293,492歩と少ない。

 この1年間で酒精を摂らなかった日数は172日(47.1%)、酒精20g(ビール500ml相当)以下の日を加えると192日(52.6%)。2016年11月中頃から節酒を開始してから酒精20g以上飲んだ率は44.4%。飲んでも一日の飲酒量は加齢と供に減ってきている。

 一番気にしている体重関連の2023年の経過。上図は体重で下図は体脂肪率。グラフはデイリーと7日移動平均。体重が年末に大きく低くなっているのは大腸ポリープ切除を契機としての減量改善の結果。